直営店こそブランド発信の大きな武器
――新しくブランドを作っていく難しさもあるかと思いますが。
山本 たしかに、ブランド作りは初めての経験です。これまでブランドのコンセプトやPR用のヴィジュアルは与えられたものを使っていましたが、自社ブランドとなるとすべて手掛けなくてはなりません。楽しい作業である一方で、シーズンごとに行なうのは思った以上に大変で、最初はすべてが手探りでした。
――デザインは社内で行なっているのですか。
山本 はい。当社には過去のデザインデータやアーカイブパーツ、金型など膨大な蓄積がありましたので、そういったものもかなり参考にしました。
また、ブランドを構築していくなかで力を入れたのが、自社店舗での発信です。やはり我々の手掛けるような高付加価値製品は、その魅力をきちんとお客様に伝えることが重要になってきます。「自分たちの直営店をもつことが、ブランド発信の大きな武器になる」というのが私の持論で、いずれ自社ブランドを立ち上げここから発信させようと、2007年には東京ミッドタウンに“世界一のセレクトショップ”をコンセプトにしたEYEVANというショップをオープンさせています。
――ブランドを立ち上げられる以前から、地盤を作っていたんですね。
山本 ここでこだわったのは、1階に店舗を出店するということです。当時メガネは靴や時計といったアイテムに比べ一段下に見られているところがあり、ファッションビルにおいては雑貨にカテゴライズされ2階や3階での出店が当たり前だったんです。けれど、メガネもファッションアイテムとして、靴や時計と同じように1階に出すことにこだわりました。結果13坪と狭い店になってしまったのですが、天井高や鏡をうまく利用して、狭さを感じさせない店づくりができました。今でも自社店舗のなかで坪効率はトップ5に入る売上を誇っています。これがモデルケースとなり、バーニーズニューヨークでのインショップ展開にも発展していきました。
東日本大震災で注目されたメガネの必要性
――先ほどからお話をうかがっていると、これまでずっと順調にきているように聞こえるのですが……。
山本 いえいえ、そんなことはありません(笑)。自社の店舗を出店するなかで、リーマンショックの直前に契約した店舗が、家賃の高さとその後の不景気で赤字続きだったこともありました。順調だった店舗の売上を、すべてそこの赤字に食われていましたから……。その時は本当に辛かったですね。
――その風向きが変わるきっかけはあったのでしょうか。
山本 じつは意外に思われるかもしれませんが、ターニングポイントは2011年の東日本大震災だったんです。当時、ライフラインとしてのメガネの必要性が大きく注目されました。コンタクトだけでは不便だ、というお客様が震災直後にたくさん来店されて。メガネは視力矯正器具であり、ライフラインとなる重要なツールである。我々はそうしたアイテムを扱っているのだということを、改めて実感しましたね。
写真=平松市聖/文藝春秋