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 1898年の民法により、ここで初めて一戸籍同一氏(同じ戸籍なら同じ氏)が確立します。民法制定を機に、夫婦は結婚後同じ姓を名乗るべきだとする、現在まで続く夫婦同姓原則が法制化されたわけです。

 同性を採用した理由のひとつが、不平等条約の改正でした。欧米、特にドイツの法律を模倣した部分も大きいのです。

 こうした政府の動きに対しては、儒教的道徳を重んじ、別姓を伝統としてきた旧武士層から多くの反発が生じます。家や伝統を破壊するといった批判や、西洋への同調に対する批判が噴出しました。

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 現在の、選択的夫婦別姓制度を「伝統の破壊」や「西洋への追従」とみなす夫婦別姓に対する批判と真逆の構図ですね。

福沢諭吉が提唱した「新苗字」

 参考までに、福沢諭吉が「日本婦人論」(1885)という論考で、「新苗字」を提唱していたことも紹介しておきましょう。

 福沢は、封建社会を批判し、近代化の必要を繰り返し説いた思想家ですが、家の継承こそ封建的な身分制度の基盤だと考えていました。家の系譜を重視するのは身分制の悪しき慣習だと考えたのです。

 福沢は、その解体のために夫婦は結婚したときにふたつの苗字を合体させ、まったく新しい苗字を作るようにすべきだとして、次のように書いています。

 ……人生家族の本は夫婦にあり、(……)新婚以て新家族を作ること教育の当然なりとして争うべからざるものならば、その新家族の族名すなわち苗字は、男子の族名のみを名乗るべからず、女子の族名のみを取るべからず、中間一種の新苗字を想像して、至当ならん。(……)かくのごとくすれば女子が男子に嫁するにもあらず、男子が女子の家に入夫たるにもあらず、真実の出会い夫婦にして、双方婚姻の権利は平等なりと云うべし。

 福沢に言わせれば、結婚して男の名字を名乗るのも、女の名字を名乗るのも平等とはいえない。二人の名字を合体させて夫婦が新しい名字を名乗ってこそ、「〇〇家世代云々……」といった身分制度の名残は消えるだろうというのです。

 福沢は、同姓か別姓かという二元論を超える議論を展開していたのです。

 この案が採用されることはありませんでしたが、今でも夫婦で新しい姓を創出するのがよいという「夫婦創姓」の主張は存在します。