現代では未婚率が上昇しており、結婚相手にめぐり会えない悩みから「見合い結婚」の多かった時代を羨ましく思う人もいるかもしれません。

 しかし、実は明治時代以前の日本で見合い結婚をしていたのは、全体の5%である武士階級が中心であり、多くの庶民層には浸透していませんでした。では、当時の人々にはどのような結婚方法がスタンダードだったのでしょうか。

 ここでは、社会学者の阪井裕一郎さんが「結婚」の常識を問う『結婚の社会学』(筑摩書房)から一部を抜粋。配偶者選択の方法として「よばい」が常識だった、当時の村落の実態とは……。(全4回の2回目/最初から読む

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 明治時代以前の村落社会では、仲人や見合いという慣習自体があまり浸透していませんでした。というのも、多くの人が一生を通じて地理的に移動することのほとんどなかった時代には、同じ村落内で結婚する村内婚が一般的であり、その必要が生じなかったのです。

よばいというスタンダード

 では、だれが結婚媒介を担っていたのか。

 村落共同体の規制が強かった時代には、「若者仲間」と呼ばれる同輩年齢集団によっておこなわれるのが一般的でした。民俗学者の瀬川清子は『若者と娘をめぐる民俗』で、「昔の婚姻を真に支配したものは、若者仲間であった」と述べています。

 村の若者たちは、若者仲間の年配者から性の手ほどきを受けたり、「よばい」をおこなうことで、配偶者を見つけ出していきました。よばい(夜這い)とは、夜に男が女の住居へと通い性的関係をもつことを意味します。よばいができるように、戸締まりをすることが禁じられていた共同体も多かったようです。

 長きにわたって配偶者選択の最も標準的とされた方法がこのよばいであり、見合い結婚よりもこれこそが庶民の伝統だったわけです。

写真はイメージ ©︎©︎photo_sada_イメージマート

 明治中期ごろまでは、結婚媒介は仲人ではなく、「若者仲間」や「娘仲間」と呼ばれる若者たちの組織する同輩集団を中心におこなわれました。

 多くの地域で、一定の年齢に達すれば男は若者仲間、女は娘仲間に加入します。農村社会学の有賀喜左衛門によれば、若者たちはこうした集団に入り、氏神祭祀や村の義務、労働に参与することで、男性は女性に求婚する資格を、女性は求婚を受けるかどうかの決定権を獲得しました。

 民俗学者の中山太郎は、若者の同輩集団を「若者連」と総称したうえで、若者が若者連に加入する一番重要な理由が「妻帯に必要なる準備を修得する」ことであったと記しています。

 一定の年齢に達し、若者仲間や娘仲間に加入した者は、一日の仕事を終え夜中になると、男は若者宿に、女は娘宿と読まれる寝宿に集まり、夜なべ仕事をしたり話に花を咲かせたりしました(中山太郎『日本若者史』)。