編集氏「『さすがに陰謀論が過ぎますよ』的な反応が返ってくるものかと思いきや……」
マライ「やはりナチス第三帝国は、そんじょそこいらの闇黒系な想像力を遥かに超えた悪の極みなんですよ。よくある説話ドラマ的なアプローチではまったくたどり着けないような凄い核心が、まだまだいろいろあると思います」
編集氏「田野先生が主張している『悪の凡庸さとは何だったのか問題』も、闇が深いですよね」
マライ「そうそう。みんなが『最悪』だと認識しているイメージより、現実はさらに一段も二段も知的に奥深くちゃんとヤバいんです」
ということで、田野先生、どうもありがとうございました!
「自らが携わっている『産業』を正当化して一種の誇りさえ持つために…」
今回あらためて痛感したのは、
「コルベ神父やアンネ・フランクの記録みたいなのだけでなく、闇金ウシジマくんや賭博黙示録カイジとかも読むほうが、ナチ組織やナチズムの力学や深奥をよく理解できる」
ということ。そして
「収容所システムを管理していた親衛隊員たちは、自らが携わっている『産業』を正当化して一種の誇りさえ持つために、道徳的矛盾や人間的葛藤について無関心を決め込もうとした」
のが、アウシュヴィッツをめぐる真の「関心力学」だったらしいということ。これはおそらく、「児童労働で作られたイケてるスニーカー」などの問題を含む今の資本主義の負のスパイラルとも無縁ではないだろう。実際、かなり辛い。
ナチズムはいろんな意味でまだ終わっていないし、ぶっちゃけ巧妙化している気がしてならない。そう、いわゆるネオナチみたいな、わかりやすいイキリ系ムーヴのみに目を奪われてはいけないのだ。(了)