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「世紀の婚約会見」の27分間、20歳の貴乃花と19歳の宮沢りえは何を考えていたか ”引退”の質問でりえさんが真顔に戻った時、貴乃花は…

「世紀の婚約」とその破局 #1

18時間前
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 1992年11月27日、「世紀の婚約」と報じられた婚約会見が都内ホテルで開かれた。婚約を発表したのは、当時角界のプリンスと呼ばれていた貴乃花(当時は貴花田)関と国民的美少女として人気絶頂だった女優、宮沢りえさんだ。

 だが婚約発表からわずか2カ月で2人は破局。翌年の1月27日に婚約を解消した。理由は、りえさんを芸能界から引退させて女将業に専念させようという相撲界の存在や、ステージママとして知られた“りえママ”こと宮沢光子さんが彼女の引退を許さなかった、花田家とりえママとの確執などの憶測が流れた。

 その真相は今も明かされていない。だがあらためて婚約会見を振り返ってみると、2人の間に生じる“ほころびの芽”が見えてきた。

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©︎時事通信社

貴乃花「やっとこの日がきた」りえ「やっと実感がわいた」

 婚約会見の日、貴乃花とりえさんは揃ってサーモンピンクの着物に身を包み、わずかに頬を紅潮させながら手をつないで会場に現れ、結婚式は約半年後の5月28日と発表した。芸能人やアスリートの結婚式がゴールデンタイムで生中継されることが一般的だった時代で、大物同士の結婚は今以上に巨大な関心の的だった。

 会見の少し前に「婚約式」を行っていたという2人。貴乃花は「やっとこの日がきた」と緊張した笑顔を見せ、りえさんは「やっと実感がわいた」と照れるように笑った。

“指輪を見せて下さい”という記者の声に、りえさんが「これです」と左手を上げたものの、すぐに下げ、「あんまりそんな見せるものじゃないです」と恥ずかしそうに俯いた。

 指輪を選んだ貴乃花が「あんまりセンスがないので」というと、りえさんは首を軽く横に振り、「どんな億万長者にも買えないような指輪です」と喜ぶ。幸せの真っただ中にいる2人はたびたび顔を見合わせては、お互いの気持ちを確認するように頷き合っていた。

 花嫁衣裳について聞かれた時も、2人は仲睦まじい様子を見せた。りえさんが「それもこれからです」と答える。“貴関の希望も入れてか”という問いには「そうですね」とはにかむように貴乃花と視線を合わせる。貴乃花も「ねっ」と優しく相槌を打った。

 ほころびの芽が見えたのは「新居の方はどうなりますか」という質問が投げかけられた時だ。

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