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「いくらでもオンナを抱け」「金に困ることはない」コカインの大量密輸で“荒稼ぎ”…麻薬捜査のスパイだった男(63)が、“大物密売人”になった経緯

麻薬取締官のエス(スパイ)となった男 #1

12時間前

genre : ニュース, 社会

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 幹部の言葉には「嘘がない」と、強い説得力を感じた。カルロスは「すぐに舎弟になった」と懐かしそうに言う。

「そっから始まったわけです、俺の人生が」

幹部から学んだ密輸の“ノウハウ”とは

 幹部は、刑務所で日々、目にしたカルロスの几帳面で真面目な働きぶりから、麻薬売買に向いていると太鼓判を押した。幹部自身、ちょうど日本のマーケットを開拓しようと考えていたところだったという。

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 その一方で、こう釘を刺した。「これからは金に困るようなことは絶対にないが、通算で計20年の懲役生活は覚悟しろ」。カルロスは半信半疑だったが、結果的に、この言葉は現実のものとなる。

 幹部の下で、密輸のノウハウを学んだ。カルロスは言う。「コカインって粉のまま送るのかと思ってたんだけど、液体で送って日本で粉末にするんです。それが一番驚いたな」

写真はイメージです ©アフロ

コカイン密輸の首謀者として逮捕される

 日本に帰国すると早速、ブラジルから東京にコカインが送られて来た。1キロ程度かと思ったら、計10キロもの莫大な量で仰天した。ペンキ缶100缶のうち、5缶にだけコカインを紛れ込ませて密輸するという手口だった。

 だが1990年代前半、日本ではコカインはほとんど流通しておらず、需要もなかった。違法薬物といえば、何よりも覚醒剤という時代だったのだ。

「だから売れないんですよ。でも、売れなくてもどんどんブツが入ってくるわけです。組織にもお金を払わなくちゃいけないし、困った。密輸さえできれば売れると思ってたんだけど、マーケティングしてなかったんですよね。えらいことになっちゃったなと困ってじたばたしてるときに、捕まっちゃったんです。で、横浜(刑務所)に8年勤めることになる」

 当時の裁判資料によると、日系ブラジル人らとコカイン約10キロを、サンパウロから名古屋空港に密輸した事件の首謀者として認定されている。カルロスは振り返る。

「地元の同級生だった暴力団員にコカインを売ってたんだけど、別事件のガサでそいつの家が警察に入られちゃったときに、ブツが出てきた。でも『こいつは喋らないだろう』と信じてブラジルから日本に帰ってきたら、パクられちゃったわけですよ。10キロで済んでよかったなと思いました」

 1審判決は懲役9年だったが、控訴して8年に減刑。判決のあった1996年に35歳だったカルロスは、横浜刑務所を出所した2003年春、41歳になっていた。

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