超大物密売人――そう捜査当局からマークされつつ、麻薬取締官のエス(スパイ)となって暗躍を重ねた男がいる。男の名は渡邊吉康(63)。“カルロス”という通り名で知られる。薬物の密輸で大金をつかんでは酒池肉林の日々を送る一方、生涯の大半は刑務所暮らしという、筋金入りの密売人だった。
最後には、信頼していた麻薬取締官から裏切られた末に、名古屋刑務所で6年半の独房生活を送った。今回、筆者のロングインタビューに応じたカルロス。薬物で荒稼ぎして逮捕されるまでの、ジェットコースターのような人生のすべてを語り尽くした。(全3回の2回目/3回目に続く)
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横浜刑務所を出所後、北京に住んで活動
コカインの密輸で懲役8年の実刑判決を受けたカルロスは、2003年春に横浜刑務所を出所。だが長い懲役暮らしは、裏社会のさまざまな人間と知り合うきっかけとなった。出所時には「やっと売れるな」と確信したという。
そのころには、コカインと覚醒剤を交換して取引できるようにもなった。カルロスは言う。
「当時、大阪の暴力団員にツテができたんだけど、どうせなら直接、生産地に仕入れに行った方がいいんじゃねえかって話になって、一緒に中国に行ったんです」
北京に住んで活動を始めたが、一味の中にいたのが、2002年ごろに日本中で資産家宅を襲う連続強盗事件を引き起こしていた、日本人・中国人混成「日中強盗団」の武田輝夫だった。主犯格として国際手配されていた。中国では、武田が仕入れ役で、カルロスが大連への運搬を担当していたという。大連からは別の人間が神戸に密輸した。
中国では違法薬物の取引が重罪
しかし2004年6月、深圳(しんせん)で中国当局の手入れがあり、一味は全員、逮捕されてしまう。カルロスは言う。
「俺、たまたま香港の女のとこにいたんですよ。みんな電話出なくて、大阪の組長さんとこに電話をかけたら、『カルロス、悪いけどな、すぐ日本に帰ってこい。何も言うな。この電話もやばいかもしれないから。今すぐ帰ってこい』って言われて、日本に帰ってきたんです。そこで、詳しい理由を聞きました」
カルロスによると、逮捕された一味の多くは暴力団関係者だった。中国では違法薬物の取引が重罪であり、死刑もあり得た。「だから、とにかく兄弟分たちを助けなくちゃなんないってことで、『カルロス、ツテを知らないか』と組長さんから頼まれた。それで中国のマフィアのツテをたどった末に、2000万円でなんとかできるだろうって話になった」
結局、ほとんどは執行猶予付きの死刑判決で一命を取り留めたが、武田だけは実際に死刑になった(2010年4月に執行)とカルロスは言う。