「33歳のとき、知り合いが関わっていた雑誌のロリィタ系ファッションブランドの撮影で、女性モデルの代役を頼まれたんです」――体型が小柄なことをきっかけにある日、仕事で「女装」をすることになったミュージシャンの谷琢磨さん(現在46歳)。その意外な経験が彼の人生をどう変えたのか? インタビューの前編をお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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本当は室伏広治になりたかった
――昔から、女装に興味があったのですか?
谷琢磨(以下、谷) 全く興味がありませんでした。「琢磨(たくま)」という名前通り、「たくましい男性になりたい」と思っていました。小学生の頃から、元ハンマー投げ選手の室伏広治さんのような背が高くてがっしりとした体格に憧れていたんです。そのため筋トレに励んだ時期もありましたが、なかなか筋肉が付かなくて、マッチョになるには向き不向きがあるんだと思いました。中学生のときには筋肉の病気に罹って、急に首が動かなくなった時期がありました。男性が罹るのは珍しい、女性に多い病気でした。思春期だったこともあり、自分の身体が理想とかけ離れていることにすごく悩んだし、コンプレックスを抱えていました。
――では、女装を始めたきっかけは何だったのでしょうか。
谷 33歳のとき、知り合いが関わっていた雑誌のロリィタ系ファッションブランドの撮影で、女性モデルの代役を頼まれたんです。予定していたモデルさんが急病になってしまい、洋服のサイズが合いそうな人の中で連絡がついたのが僕だけだったそうです。報酬が出るし、知り合いが困っていたので引き受けました。
――初めて女装したときはどう感じましたか?
谷 すごく嫌だったし、恥ずかしかったです。バンドのボーカルをしているので舞台メイクはしていましたが、女装をしたことはありませんでした。スカートを穿くことに違和感があったし、女装をすることで「周りとの人間関係が崩れてしまうかも」という心配もしていました。
でも、そのときの撮影がスタッフの方からすごく好評だったんです。「もっと撮ってみないですか」とお声掛けいただくようになり、レディースファッションのモデルのお仕事が広がっていきました。当時はお金が無かったので「仕事になるならやろうかな」と思うようになりました。だから僕の場合は、完全にお金目当てのビジネス女装がきっかけなんです。
――仕事で女装をするようになったことを、どう感じましたか?
谷 初めの頃は撮影の合間にスカートを穿いてコンビニに行くことも「こんな格好で街を歩いていいのかな」とドキドキしました。でも回数を重ねるごとに感覚が麻痺して平気になっていきました(笑)。「この仕事で税金を納めているから」という大義名分があることは大きかったです。最初の頃は、周りの人にそう言い訳していました。
――女装を楽しめるようになるまで、どんな意識の変化があったのでしょうか。