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「男を盗るな」「ツメを伸ばすな」そしてクスリによる自殺未遂…アームレスリング界無敵の女王・山田よう子(48)を苦しめた“壮絶すぎるイジメ”

山田よう子インタビュー#1

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「WAF世界アームレスリング選手権大会」45キロ級世界王者(2005年)に輝き、「JAWA全日本アームレスリング選手権大会」でも11連覇(2002~2012年)という偉業を残して一度はアームレスリングから離れた山田よう子(48)。17年に復帰し、さらに日本選手権7連覇を更新中である王者は学生時代、オーバードーズで自殺未遂に追い込まれるほどの壮絶なイジメに悩まされていた。(全3回の1回目/#2#3を読む)

©佐藤亘/文藝春秋

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「洋子おばちゃん」南田洋子さんとの思い出

――山田よう子さんの本名の「洋子」は、女優の南田洋子さんによって命名されたそうですね。

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山田よう子(以下、山田) 南田は父方の親戚で、うちのパパのことを息子のように可愛がっていたんです。私が生まれた時、パパがすぐに洋子おばちゃんのところに連れて行ったら、「洋子と名付けなさい」って。洋子おばちゃんには子供がいなかったから、「うちの子に欲しい」と言われて、実子のように可愛がってくれました。だから、私はいつも洋子おばちゃんを喜ばせないといけないって思っていたんです。

――ご出身は東京都中央区の勝どきですね。

山田 もともと洋子おばちゃんも勝どきに住んでたんですよ。パパはそのあたりで着物の販売などをしていて、その後は洋服の販売や喫茶店をやっていました。パパはゴルフ、麻雀、競馬、女と趣味が多くて、働いた姿を見たことがなかったです。

本人提供

プロレスラーになりたくて、全日本女子プロレスに電話

――勝どきでどんな幼少時代を過ごしましたか。

山田 小学校時代は何でもナンバーワンで、わんぱく相撲も、水泳も、バドミントンも、羽根つきも男子に負けたことがなかったですね。50mを6・9秒で走れたので、リレーに出れば5人抜き。クラッシュ・ギャルズのファンで、自分もプロレスラーになりたかったので、小学校2年生から腕立て100回を3セット、寝そべって腰から上に足を上げての“自転車漕ぎ”100回を毎日こなしていました。小学校6年の時、実際に全日本女子プロレスに電話をかけたんですよ。長与千種をいじめるダンプ松本を倒せるのは私しかいないと思っての行動ですが、「もう少し大きくなってからね」で終わりました(笑)。

――その頃、プロレスラーとは正反対の経験もされていますね。

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