南田洋子の縁戚として期待されながらも思うような結果を残せなかった芸能界に別れを告げた山田よう子(48)が選んだ新たな世界は、アームレスリングだった。そして37歳でバツ4の男性と結婚し、5人の子供を出産…。波乱の生涯でもなぜ彼女は笑顔を失わず前を向きながら暮らせるのか。シングルマザーとして子育てに邁進する日々を尋ねた。(全3回の3回目/#1、#2を読む)
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アームレスリングの世界チャンピオンと居酒屋で隣り合い
――芸能界からアームレスリングに転身したきっかけを教えて下さい。
山田よう子(以下、山田) 1999年、たまたま居酒屋で隣り合わせた男性がアームレスリングの世界チャンピオンで、アームレスリングに興味を持ちました。その2カ月後に都大会で2位、4カ月後に全日本で2位、6カ月後には世界選手権で2位。自分は“2位女”なのかな?って思っちゃって、世界を獲ろうと思いました。
――世界王者になったのはいつですか?
山田 2005年に東京で開催された「世界アームレスリング選手権大会」(シニア女子45キロ級ライトハンド)です。全日本では2002~2012年まで11連覇して、2008年には50キロ級、55キロ級、60キロ級の3つの階級全てライトハンドとレフトハンドの両方で優勝しています。
――2012年に連覇が止まったのはなぜですか。
山田 私はずっと戦ってきたんですが、子供が大好きだったんで、子供を作らないと、と思ったんです。37歳で結婚して、すぐに1人目ができました。そしたら、全日本の連覇が止まってしまったので、立て続けに子供を産もうって。それでパンパンパンと産んだって感じですね。
すでにバツ4だった夫とは、2年半前に離婚
――お子さんたちは今何歳ですか。
山田 10歳の男子、8歳の男子、7歳の男女の双子、3歳の女子ですね。
――父親はどんな方ですか?
山田 結婚した時、すでにバツ4で、子供が11人いました。2年半前に彼とは離婚したんですが、私の前ではおとなしい、ゆったりとした人でしたね。
――穏やかな男性がタイプですか。
山田 私は自分がどういうタイプが好きなのかよくわからないんです。ドSの人と付き合ったら、「うるさい。はいって言え」って感じで私とは合わないなって思うし、ドMの人と付き合ったら、へにょへにょしてるし。ボーイッシュな女性と付き合ったこともあるんですが、彼女の番号しか登録されていないピッチ(PHS)を渡されて、化粧・マニキュア・スカート禁止。門限は18時でしたね。これまでに付き合った男性もみんなそんな感じ。束縛されて、DVされて。門限を作らなかったのは元夫だけです。