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「5000万円でヌードにならないか?」さらに実家も全焼し親を刺すことを決意した…アームレスリング界最強の山田よう子(48)の“ドン底だった青春時代”

山田よう子インタビュー#2

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 アームレスリング世界選手権優勝、そして日本選手権11連覇と7連覇、さらに縁戚には昭和のスター・南田洋子。山田よう子(48)の経歴は一見すると華やかだが、その陰には想像を絶する半生があった。辛く苦しかった青春時代の記憶を辿る。(全3回の2回目/#1#3を読む)

©佐藤亘/文藝春秋

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更生施設から祖母の住む田舎へ

――自殺未遂後、中学生活に変化はありましたか。

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山田よう子(以下、山田) 中学3年生で、高田馬場の更生施設に入所しました。いじめを受けている子のための施設で、6畳間に4人が寝起き、24時間監視付きです。ここから学校に通う子もいましたが、私は通学せず、「モモコクラブ」はやめたものの、歌の勉強は続けていました。だから、よく歌を歌ったりしていましたが、何かつまんなくて、何もすることがなくて、よく外を眺めていたんです。そしたら、家庭内暴力をする子が入る別館の檻施設に知り合いの男子が入っているのを見つけて、3回くらい一緒に脱走しました。

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――脱走して、どこへ向かうんですか。

山田 行き場所がないから、ひと晩中、渋谷をプラプラするだけ。当時はずっと渋谷に出てましたね。“オール”って言葉が流行っていましたから。更生――ならなかったですね。

――学校にも、施設にも、居場所がなかったんですね。

山田 施設を出て、母親の実家である佐賀に預けられました。佐賀県人でも「それ、どこ?」って言うくらいド田舎の東山代町というところ。そこで祖母と一緒に牛の世話をしながら、中学生を終えました。

――寂しくなかったですか。

山田 寂しくても、そこしか居場所がなかったですからね。

稲垣吾郎、草彅剛、松たか子、浜崎あゆみらと堀越学園に入学

――義務教育修了後は?

山田 東京に戻りました。洋子おばちゃんを思い出し、心を入れ替えて真面目に芸能を頑張ろうと、堀越高校の芸能コースに入学したんです。洋子おばちゃん(と長門裕之)が設立した「人間プロダクション」のマネージャーさんと一緒に面接に行って、合格した感じ。芸能コースは1年から3年まで同じクラスなので、稲垣吾郎、草彅剛、TOKIOの松岡昌宏、松たか子、浜崎あゆみ、中山エミリたちがいて、みんな仲良かったですね。でも、芸能コースは「仕事です」と一筆書いて提出したら、通学しなくていいので、相変わらず渋谷によく行っていました。

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――渋谷で何をされていたんですか。

山田 ただ、たむろしていた感じです。チーマーが流行っている時代で、渋谷のチーマーと遊んで、トップメンバーとお付き合いをしたりしました。それが女子には面白くなかったようで、渋谷の女子のトップメンバーに狙われて、足立区の五反野のトップメンバーにも狙われて、「頭をカチ割ってやる」って言われてました。もう、どうすれば目立たずに生きられるのかわからなくて。

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