小学6年でスカウトされ「モモコクラブ」でアイドル活動
山田 小学6年の時、渋谷でスカウトされて、「モモコクラブ」でアイドルとして活動を始めました。アイドル、好きだったんですよ。おニャン子クラブが人気の頃で、渡辺満里奈さんに憧れていたし。でも、実際に自分がアイドルになると、全然面白くなかったです(笑)。作り笑顔をしたり、手を振ったり、いわゆる“きゃぴきゃぴ”することに違和感があって、自分には合わないなって。今考えると、恥ずかしいですね。メイクして、アイドルっぽく振る舞おうとしていた自分が。
――小学校の同級生の反応はどうでしたか。
山田 男子にも女子にもすごくモテました。私の髪や爪をお守り代わりに名札に入れておくのが流行ったくらい。当時大人気だったフィリックス・ザ・キャットのキャラクターグッズを私にいくつ受け取ってもらえるかを皆が競っていて、ぬいぐるみとかをそれこそ山のようにもらいましたね。ほとんどの方が、山田よう子を好きだったんです(笑)。
――「モモコクラブ」での活動はいつまで続けられたんですか?
山田 中学1年まで。中学校に上がっても、変わらず男子にモテたので、女子からのいじめが、まぁーキツかったですね。学校に行くと、必ず上級生女子に呼び出されて、「挨拶しろ」「ポニーテールにするな」「爪を伸ばすな」「男を盗るな」って。確かに何人かの上級生に告白はされたんですけど、全部断ってるんですよ? 同級生の女子からは机を最後列まではじかれての集団無視。あらゆる女子の標的になりました。
集団無視とか精神的に何かをされるのが一番キツい
――身体的な暴力も受けましたか?
山田 私は銀座の中学だったのに、八王子の中学からも女子が来て、「山田はどこだ」って。東銀座駅で20人くらいに囲まれて、身体に触れてきたので、正当防衛で50倍くらいにして返しました。今思えば、何で八王子にまで私の名前が伝わっているのか謎。
――力で、山田さんに勝てる女子は少なそうですね。
山田 実際に手を出されるのは、まだキツくないんですよ。人って、叩かれるよりも集団無視とか精神的に何かをされるのが一番キッツいんじゃないかと私は経験上思います。それで、中学1年の2学期から不登校になって――思いつめて自殺未遂を図りました。何を飲んだのかちょっと覚えてないんですけど、今でいうオーバードーズ。目が覚めた時、「あぁ、生きちゃった」と思いましたね。きつかった。まだ薬が効いていて、ちょっと頭を動かすだけで、脳がぐるんぐるんと回って苦しかったです。「早く薬を抜かないと」と思いつつも、「何で死ねなかったんだろう」って感じたのを覚えています。
――自殺未遂前、未遂後に相談できる人はいましたか。
山田 自殺未遂をしたことを、親も、学校の先生も、誰も知らないです。騒がれるのが嫌なんですよ。周りに迷惑をかけるのとか、そういうことが嫌だったんです。
撮影 佐藤亘/文藝春秋
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