1978年の夏、足立区の小学校教諭・石川千佳子さん(当時29歳)は、忽然と行方をくらました。北朝鮮による拉致被害の可能性も考慮されたが、何の手がかりも得られないまま、26年もの時間が経過してしまった。

 だが、この“未解決事件”は予期せぬかたちで進展する。

 2004年8月21日、石川さんを殺害したという男が綾瀬警察署に出頭してきたのである。1973年から石川さんと同じ小学校で警備主事として働いていた男だ。事件当時は42歳。石川さん失踪の前日の8月14日、校内で夕方に石川さんを目撃したと証言した警備員である。

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写真はイメージです ©AFLO

 男が事情聴取で話した内容は以下のとおり。

 1978年8月14日午後4時30分ごろ、校舎を巡回している途中で石川さんとぶつかって口論となり、大声で騒がれたので口をふさぐなどして殺害し、自宅まで遺体を運び、妻が外出しているあいだに床下に埋めたとのこと。

床下から一部白骨化した遺体や財布などの所持品が…

 この証言にもとづき、翌8月22日に警察は足立区内の男の自宅を捜索したところ、一階和室の掘りごたつの下、床下約1.1メートルの地中から、防水シートにくるまれた一部白骨化した遺体および石川さん名義のキャッシュカードや財布、化粧品、衣類などの所持品が発見された。

 そして、DNA鑑定の結果、それが石川さんの遺体であることが確認された。

 石川さん失踪から26年。未解決だった失踪事件は、殺人事件へと様変わりしたのである。

石川千佳子さん ©共同通信社

 それにしても男はなぜ26年も経ってから名乗り出たのか。

 男によると、遺体を埋めてしばらくしたら、埋めたことも忘れていたという。それが10年ほど前に、男の自宅は道路拡張のための土地区画整理事業の施行地区に指定され、立ち退きを要求されるようになり、そのときに遺体の存在を思い出した、と。

 自分で殺害しておいて、その事実を「忘れていた」とは、なんとも憎たらしい言い草ではないか。

 じつはこの「10年ほど前」という時期(=1994年頃)から、男は自宅を要塞化し始めていた。自宅玄関を高さ2メートルに及ぶ鉄製の門扉にし、家の周りはトタンで覆い、自宅の周囲をブロック塀、アルミ製の目隠し等で囲んで内部の様子を外部からうかがうことができないようにし、鉄柵や有刺鉄線を張り巡らせた。要塞化はさらにエスカレートしていき、門扉と裏手にはサーチライトや赤外線防犯カメラも設置したほどだ。