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道長は定子の死に安堵したことだろう。すでに彼女は一条天皇の第一皇子である敦康親王を出産していた。このまま敦康親王が春宮(皇太子)になり、即位をすれば、伊周ら中関白家の面々が外戚として力をもちかねない。そうなれば、道長は立場を追われるかもしれない。

だからこそ、彰子を中宮にして一条天皇にプレッシャーをかけ、財力に頼って彰子のサロンを、一条が惹きつけられる魅力的な場として整えようとした。しかし、定子さえいなくなれば、敦康親王は存在しているものの、彰子が一条の皇子を出産する可能性も出てくるだろう。

ところが、道長はその後も定子に苦しめられることになった。まず、定子が亡くなった長保2年12月16日のこと。悲報を受けた一条天皇は、最高権力者である左大臣道長を内裏に呼んだが、そのとき道長は自邸で怨霊に襲われ、参内できる状況ではなかったというのである。

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しばらくして参内した道長が語った内容が、ドラマでは渡辺大知が演じている藤原行成の日記『権記』に記されている。それによれば、女官の藤典侍がなにかを手にして道長に襲いかかってきたという。道長はそれを「怨霊」と認識。具体的には、最初に放った言葉から長兄の道隆の霊のようで、また、次兄の道兼の言葉のようでもあったという。

実は病弱だった道長

これについて、山本淳子氏はこう書く。「定子は道長にとって、小癪にも天皇に愛され続け、后として復活までして彰子の前に立ちはだかる邪魔者だった。道長は露骨に定子をいじめた。その定子の崩御は、またしても彼に転がり込んできた稀有な〈幸ひ〉だった。しかしそれは、これまでの〈幸ひ〉と同様に、人の死という不幸であった。おそらく道長は疚(やま)しさから恐怖に怯え、女官・繁子(註・藤典侍のこと)に起こった何らかの異常事態を道隆らに結び付けて、霊による報復と確信したのである」(『道長物語』朝日選書)。

話は前後するが、第28回「一帝二后」では、道長が倒れて一時は危篤になる場面も描かれた。「光る君へ」のなかでは、これまで道長は健康な青年として描かれてきたが、史実の道長は生涯にわたって何度も倒れており、かなり病弱だった。