1992年、14歳で出場したバルセロナオリンピックで競泳史上最年少金メダリストとなった岩崎恭子さん。「時の人」となった彼女は、狂騒の渦に巻き込まれる。14歳の少女の日常は瞬く間に崩壊し、本来なら自身の誇りであるはずの金メダルも、金庫にずっと放置されたままになった。

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サンタクララの記憶

〈金庫に閉じ込められた金メダル、それはバルセロナ後の岩崎の内面を象徴している。メダルとの距離は遠く、隔絶していたと言ってもいい。

 ただ、その事実を語る今の岩崎は、あの頃の自分を笑い飛ばすことができている。金庫は開いたのだ。それはいつだったのだろうか。〉

 岩崎恭子さん ©文藝春秋

「その悩みからやっと抜けられたのは2年後、1994年でした。高校1年生の夏、世界選手権とアジア大会の選考があって、私は記録が悪くて代表から落ちたんです。それで1つ下のジュニア世代のアメリカ遠征に行くことになって、それが久しぶりに他人から見られてない環境だったんです。何より大きかったのは、遠征先のサンタクララという場所が中学1年生のとき初めての海外遠征として行った場所だったこと。そこで13歳の私を思い出したんです。本当に水泳に対して真っすぐに、ただ記録を伸ばしたいという一心だったなって。何でも吸収してやろうという気持ちがあって、先輩の泳ぎを水の中に潜って見たり。あれからまだ3年しか経っていないのに、今は何でこんな自分になっちゃったんだろうみたいな……」

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 ――偶然にも同じ景色に出逢ったことで、金メダリストになる前の自分に戻れたということですか。

「13歳のときに泳いだのと同じプールでしたから。13歳と16歳、いろいろなことが自分の中で重なった。一緒に行ってたコーチには『神様は乗り越えられない人には試練は与えないよ』と言ってもらいました。バルセロナで同じ中学2年で一緒だったノリちゃん(稲田法子)もその遠征にいて彼女が自己記録を更新しようと必死に頑張っている姿を見たりだとか、年下の選手たちがすごく無邪気に水泳に対して取り組んでる姿とか見て、昔の自分もそうだったなと、大切なものを思い出せました。別に悩むんだったらマイナスに捉えるのではなく前向きに悩んでいこうと考えることができて、そうしたら自然と次に私がやるべきことはアトランタを目指すことだと思えたんです。次のオリンピックまで4年のうち2年間も悩みましたが、今は必要な時間だったんだと思っています」