「今まで生きてきた中で、一番幸せです」
1992年のバルセロナ五輪。当時14歳の少女の言葉に、日本中が沸いた。競泳の史上最年少メダリストである、岩崎恭子さん(46)。その人生は、金メダルを獲った日を境に一変したという。
突然注目されたことによる強いストレスから、記憶障害に。「金メダルなんて獲らなきゃよかった」と後悔する日々がつづいた。そこからどのようにアトランタ五輪出場を果たしたのか? そして着衣泳の普及に努める現在について、岩崎さんに聞いた。(全3回の2回目/つづきを読む)
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「13歳の時の自分に戻ればいいんだ」苦境から立ち直ったきっかけ
――解離性健忘(心的外傷やストレスによって引き起こされる記憶障害のこと)を発症するほどの強いストレスはいつごろまで続きましたか。
岩崎恭子さん(以下、岩崎) 高1ぐらいまでですね。バルセロナ直後は過大な注目がストレスになって水泳に身が入らず、大会に出ても平凡なタイムばかり。代表からも外れました。そんな私に水泳連盟がやる気を起こさせようとしたのか、バルセロナの時の泳ぎのフォームを解析して見せてくれたんです。自分では無意識だったのですが、キックするときに足指をパラシュートのように丸めて水を掴んでいたらしい。
そのように泳げばタイムが上がると私もコーチも考えてましたが、かえってドツボにはまってしまいました(笑)。そりゃあ、そうですよね、13~14歳と16~17歳では女性の体は大きく変わっていますから。当時はそんなことにも気が付きませんでした。
――そんな苦境から立ち直ったきっかけは何だったんですか。
岩崎 代表の選考からもれた私は高校2年の時、ジュニアの選手として米国のサンタクララでの合宿に参加したんです。13歳で代表に選ばれ、初めて合宿した場所でした。
あの時と同じ景色、同じプール、同じ水の匂い……。水に入った瞬間、13歳で無心で泳いでいた頃の記憶が蘇り、バルセロナ以降に堆積していた滓のようなものが一気に流れていった感じがしました。そして、13歳の時の自分に戻ればいいんだって。他人の視線や言動に迷わされるような生き方はもう止めようと。
そこからまた水泳が楽しくなり、96年のアトランタ五輪を目指そうと自分を奮い立たせました。でも、あと1年半しかなかった。これ以上体がもたないと思うほど、練習しましたね。
アトランタ五輪では10位に終わりましたけど、アトランタに向かう1年半はとても濃かったし、自分にも自信が持て、バルセロナの金にやっと心が追いついたかなとも思いました。