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パリオリンピックの真実

「金メダルなんて獲らなきゃよかったと…」中学2年で金メダル→直後に記憶をなくし…岩崎恭子(46)が振り返る「生きてきた中で一番幸せ」の“その後”

「金メダルなんて獲らなきゃよかったと…」中学2年で金メダル→直後に記憶をなくし…岩崎恭子(46)が振り返る「生きてきた中で一番幸せ」の“その後”

岩崎恭子さんインタビュー #2

14時間前
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自分が母になった今分かること

――パリ五輪では岩崎さんと同じような思いをする選手がいないことを願うばかりです。

岩崎 最近はネットの誹謗中傷が社会問題になるほど深刻ですからね。選手はみな、全身全霊で闘っています。まずはそこを見て欲しいですね。万が一、期待に応えられない結果でも、その選手の未来を応援してあげて欲しいです。結果が出せず、一番落ち込んでいるのは選手本人ですから。

©深野未季/文藝春秋

 当時の私にとって、家族の存在が救いでした。母が毎日、学校の送り迎えをしてくれ、両親や姉、妹は、バルセロナ五輪前と何も変わらなかった。練習に行きたくないと言っても、母に強引に車に乗せられプールに連れていかれるし(笑)。自分が母になった今分かることですが、あの時の私を家族が全力で守ってくれようとしていたんだ、と。

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 中学生の娘が、バルセロナの時の私と変わらない年齢になりました。ただ娘の言動を見ていると、同じような立場に立たされても、動じないだろうなと思います(笑)。顔は似ているけど、全くの別人格。すでに自分を持っているし、友達との付き合いもマイペース。周りに流されないんですよ。テレビのアンケートなどで、「家ではどんなお母さんですか」という質問に、「酒を飲んでいます」と堂々と書くし。実際そうなんですけど(笑)。

着衣泳の重要性を広めていきたい

©深野未季/文藝春秋

――最近は、着衣泳の普及活動に尽力されていますね。

岩崎 私が着衣泳を経験したのが20年ほど前。「服を着てどれくらい泳げるか」というテレビの企画に参加したのですが、元水泳選手なのにとても泳ぎにくかった。そして2011年の東日本大震災時に、着衣泳をマスターしていて命が助かった人がいることをニュースで知ったんです。その時、着衣泳の重要性をもっと広めていきたい、強くそう思いました。

 すぐ活動したかったけど娘が生まれたばかりで手がかかったので、年に数回、講演やイベントで着衣泳の重要性を説いてきました。

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