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妻の置き去り事件

 サン・テグジュペリは純情一途な「星の王子さま」ではなかった。「バラ」の我儘に弱り果てて出ていったと、こんな一方的な書かれ方では、コンスエロも堪らないというものだ。もっとも、こちらも夫一筋という、いじらしい手合いではなく、やはり恋人、愛人の類は絶えなかった。サン・テグジュペリがヨーロッパで軍用機に乗っている間も、このときはスイスの作家で、夫の友人でもあるドニ・ドゥ・ルージュモンだったが、その男と手をつないで、ニューヨークの通りを楽しそうに歩いていたほどだ。

 コンスエロにすれば、全ては夫に放っておかれたからということだろう。なにしろパリに暮らしていた戦争前から、もう別居生活だったのだ。サン・テグジュペリが厄介なのは、そのくせ妻に無関心ではなかったからだ。それどころか、やや常軌を逸したくらいの執着をみせるのだ。

 一九四〇年五月、ドイツ軍がフランスに侵攻、パリにまで近づいていると聞くや、勤務の空軍基地から急ぎ車を飛ばして、そこにいるコンスエロにピレネの麓(ふもと)まで逃げろと諭す。きっと迎えにいくからとも約束したが、六月にフランスが降伏して、軍から復員なってからも、ネリーと逢瀬を楽しんだり、プロヴァンスの妹の家でのんびりしたり。

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 八月になって、ようやくピレネに行くが、まだ連れてはいけないと、コンスエロを山奥の寒村に追い返す。次が十月だったが、このとき求婚してくれた人がいるからと、離婚を切り出されてしまう。サン・テグジュペリは最後の食事をしようと誘った。相手の男には自分が電話しておくといいながら、実際はふりをしただけで、コンスエロには怒っていたよと嘘までついて、妻の再婚話をまんまと反故にしてしまう。

 ピレネの麓から連れ出して、いよいよ大切にするのかと思いきや、僕はアメリカに行くことになったからと、コンスエロのことはプロヴァンスの芸術家村に置き去りにする。一九四二年一月だから、一年以上もたって、ようやくニューヨークに呼び寄せたが、遥々(はるばる)やってきたコンスエロに、一緒の家では暮らさないといいわたす。何の意味があるのか、同じ建物の上階と下階の部屋に分かれて、また別居生活である。今度こそ離婚したいと迫られるのも宜なるかなだが、やはりサン・テグジュペリは断固として応じない。コンスエロを思い留まらせるかわりといおうか、その夏から秋にかけて郊外ロングアイランドの別荘で一緒に暮らすことになり、そこで書かれたのが『星の王子さま』なのである。

『最終飛行』を鮮烈に描いた作家・佐藤賢一さん。
スピード感あふれる圧巻のラストをぜひ味わってみてください。
撮影:文藝春秋写真部