特に驚いたのが23巻から25巻にかけての展開だ。ここで、死柄木弔、トガヒミコ、トゥワイスといったヴィラン達の過去が深く掘り下げられたのだが、不幸な境遇に生まれたことで社会を憎むヴィランに成らざるを得なかった死枯木たちの過去を描いたことで、劇中に禍々しい迫力が生まれた。
元々『ヒロアカ』は主人公サイドの人間関係だけでなく、脇役にも光を当てる作品だったが、この23~26巻を境に物語のトーンは大きく変わり、全員主人公の多視点群像劇とでも言うような複雑な人間模様を描く作品に変わっていった。
26巻末~31巻にかけて描かれる「ヒーロー全員出動編」では、ヒーローとヴィラン、双方のキャラクターの内面がほぼ均等に描かれており、どっちの立場もわかるが故にどちらに感情移入していいのかわからない混沌とした展開となっていた。
漫画家・堀越耕平の「核」は死柄木弔の中にあった?
おそらく「ヒーロー全員出動編」は、32巻以降展開される最終章に向かうため、これまで作り上げてきた『ヒロアカ』の世界をあえて壊そうとしたのだろう。
実際、全ての登場人物に見せ場を用意して描ききった最終章は、藤田和日郎の『うしおととら』(小学館)の終盤を思わせる見事な大団円となったが、個人的に一番引き込まれたのは23~31巻にかけての混沌とした展開で、堀越が影響を受けている新井英樹のバイオレンス漫画『ザ・ワールド・イズ・マイン』(小学館)を彷彿とさせる禍々しい破壊衝動が劇中に生まれ、作品の幅が大きく広がったと感じた。
なお、死柄木弔の本名は志村転狐だが、彼のキャラクターは堀越のデビュー作となった読み切り漫画「テンコ」の主人公・テンコを下敷きにしている。その意味で死柄木は、作家としての堀越の核になるものが投影されていたと言え、繰り返し描かれたデクと死柄木の戦いは、堀越の中にある光と闇が衝突している様子をバトル漫画として紡ぎ出していたようにも読める。