保阪 辻はシンガポール華僑粛清事件の後、陸大の教官もしています。当時、陸大で学んでいた人から辻の試験問題を見せて貰って驚きました。すべて本土決戦を想定した問題だったんです。ある意味、勘の良い人ではあったのだとは思いますが。

 楠木 破滅型というか……自分が気持ちよくなれるなら、破滅してもいいやという印象も受けます。どこまでも自分本位の人だったのではないでしょうか。

責任逃れの本を出版

 保阪 服部は戦後、ガラッと生き方を変えました。

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 楠木 服部は官僚のように出世第一で、そこまでは一つの生き方としてありだと思います。ただちょっと驚くほどの変わり身の早さです。

 新浪 確かに開戦時は、まだ40歳で作戦課長だったので東京裁判の訴追は逃れている。前線に出ていないのでBC級戦犯にも問われていない。責任を問われないポジションでしたが、対英米開戦派の中心人物ですよ。「責任」ということについて、しっかり考える必要があると思います。

新浪剛史氏 ©文藝春秋

 山下 まず、第一復員局の史実調査部長となり、その後、GHQ参謀第2部の部長チャールズ・ウィロビーの下で、復員してくる各軍の要員に聞き取り調査をして、太平洋戦争の戦史編纂を行っていましたね。マッカーサー最高司令官の意に沿う太平洋戦史づくりが目的でした。再軍備研究のための「服部機関」も作られます。

 楠木 いま、我々が振り返ってみても、この人、なんで戦後すぐにGHQに取り入ってこんなことが出来るんだろうと思ってしまいます。おそらく軍の同僚たちは、もっと憤っていたはずです。きっと彼は、それが平気な人なのだと思いますが。

楠木建氏 ©文藝春秋

 保阪 服部は旧軍の参謀を次々に呼び出して、戦況を聞き出します。私は、そのとき彼らは隠蔽工作などもしていたのではないかと疑っています。東京裁判の陸軍側被告に有利になる証拠や資料がないか、聞きまわっていたようですから。

 さらに1953年には、『大東亜戦争全史』を自分や元陸軍将校の名前で出します。しかし、ノモンハン事件での自分や辻の役割に一切触れないなど、典型的な責任逃れの本なんです。「歴史を舐めるな」と言ってやりたいですよ。