半藤一利さん『戦士の遺書 太平洋戦争に散った勇者たちの叫び』。本書は「語り継ぎたい昭和軍人たちのことば」として、太平洋戦争に散った28人の軍人の遺書や最期の言葉をもとに、各々の人物像、死の歴史的背景である戦争の本質へと迫る名作列伝です。

 本書から一部抜粋し、その壮絶あるいは清冽な言葉の数々をご紹介します。第2回は「硫黄島の戦い」で有名な栗林忠道の章を公開します。(全4回の2回目/最初から読む

栗林忠道中将

「大本営から支援の約束がある」

 栗林忠道(くりばやし・ただみち)中将(戦死後大将)の指揮下、大隊長として硫黄島で戦った藤原環(ふじわら・たまき)少佐の回想がある。それによると、昭和19年夏のある日、部隊長会同がひらかれ、種々の会議のあったあと、栗林はこう言ったという。

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「本島は皇土の一部である。もし本島が敵に占領されることがあったとしたら、皇土決戦は成り立たない。したがって、もし本島への米軍の上陸がはじまったならば、大本営としても陸・海・空の残存戦力を投入して支援し、本島への上陸は断じて食いとめる、との約束をしている。すなわち、われわれは太平洋の防波堤となるのである。本島の防衛は即、本土の防衛であると考えてやらねばならぬ」

 事実、小笠原諸島の南西方、硫黄列島の中央にある硫黄島は日本本土の一部であることに間違いない。東京まで約1,200キロ、しかも長い滑走路をもつ飛行場のあるこの島が、米軍に占領されるようなことがあれば、戦闘機P51のまたとない基地となる。となれば、マリアナ基地の爆撃機B29の協同作戦によって、日本本土の制空権は米軍の手ににぎられてしまうことになろう。

激戦地となった硫黄島。アメリカ軍の猛烈な砲撃で島の形が変わったと言われる

もはや生命は存在しえないほどの米軍の猛攻

 大本営は当然のことながら硫黄島のもつ緊要性をみとめていた。それゆえ栗林中将指揮の第百九師団を主力に、2万9千あまりの将兵を送りこみ、鉄壁の防衛陣を布(し)かねばならなかった。しかし藤原少佐が記す栗林の言葉にあるように、いざとなったときには「陸・海・空の残存戦力を投入して……」という約束をしたかどうか、いまとなっては確認のしようもない。