半藤一利さん『戦士の遺書 太平洋戦争に散った勇者たちの叫び』。本書は「語り継ぎたい昭和軍人たちのことば」として、太平洋戦争に散った28人の軍人の遺書や最期の言葉をもとに、各々の人物像、死の歴史的背景である戦争の本質へと迫る名作列伝です。

 本書から一部抜粋し、その壮絶あるいは清冽な言葉の数々をご紹介します。第4回は神雷部隊の猛指揮官・野中五郎の章を公開します。(全4回の4回目/最初から読む

野中五郎少佐

二・二六事件で蹶起ののち自決した兄を尊敬

“尊王討奸”の名のもとに青年将校が反乱を起こした二・二六事件の、「蹶起(けっき)趣意書」に記された筆頭名義人は、陸軍歩兵大尉野中四郎である。以下は「外 同志一同」とある。反乱は成功しなかった。最先任の将校として先頭に立った野中大尉は、2月29日午後、陸相官邸において責任をとり拳銃で自決した。

ADVERTISEMENT

「天壌無窮(てんじょうむきゅう、編集部注:天皇や国家の繁栄が永遠に続くことを願う、という意味) 陸軍大尉 野中四郎 昭和十一年二月二十九日」

 とだけ書かれた絶筆がそばのテーブルの上に残されていた。

 兄の四郎が陸軍士官学校へ進んだのと違い、弟の野中五郎は海軍兵学校を選んだ。卒業は前年の昭和10年、兄が事件に起(た)った雪の朝、弟は海軍飛行学生として霞ヶ浦航空隊で雪上訓練をしていた。その野中を教官がよび、兄の蹶起を伝えた。それから四日後、兄の死が弟の五郎にもたらされた。

兄の野中四郎大尉

 幼いころから五郎は、兄を心から畏敬していた。姿勢をくずさずむつかしい書を読む兄にたいし、弟は寝ころんで立川文庫のような講談本を読みふけった。兄は端正な秀才であったが、弟は天衣無縫の暴れん坊。性格的には対照的な兄弟でありながら、仲の良いことは無類であった。五郎は海兵生徒当時から陸軍にいる兄を、友人たちに自慢した。霞ヶ浦へ来てからも、何かといえば兄を例にもちだした。

海軍航空隊だけが天国だった

 野中兄弟の父の勝明は、ドイツに留学した砲術の権威として知られた退役陸軍少将で、尊皇精神の厚い人物である。その教育もそれに徹していた。それだけに反乱軍となり天皇に弓を引いたという事実は、一家にとってはあまりに衝撃であった。人一倍快活な五郎も、その後しばらくは気の合った仲間とも語らなくなった。そしてただよき飛行機乗りたらんと訓練に没頭した。数年ののちに、ようやくいつもの五郎に戻ったが、しかし兄の四郎のことについては、それからのかれの生涯において、ついに一度も語ることはなかった。