半藤一利さん『戦士の遺書 太平洋戦争に散った勇者たちの叫び』。本書は「語り継ぎたい昭和軍人たちのことば」として、太平洋戦争に散った28人の軍人の遺書や最期の言葉をもとに、各々の人物像、死の歴史的背景である戦争の本質へと迫る名作列伝です。

 本書から一部抜粋し、その壮絶あるいは清冽な言葉の数々をご紹介します。第1回は「特攻の父」と呼ばれる大西瀧治郎の章を公開します。(全4回の1回目/続きを読む

大西瀧治郎中将

作法通り腹を切り、頸と胸を刺したが…

 軍令部次長大西瀧治郎(おおにし・たきじろう)中将が自決したのは、昭和20年8月16日午前2時45分である。作法どおり腹を切り、頸と胸を刺したが、なお死ぬことができなかった。急報でかけつけた軍医の姿を認め、大西はこのまま死なせてくれとばかりに手をふった。たしかに、腸のとびだしている状態ではたすかる見こみもなかった。「死ぬときはできるだけ長く苦しんで死ぬ」と言っていた大西は、介錯も強く拒み、

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「これでいい、送り出した部下たちとの約束を果たすことができる」

 と、あふれる血のなかで破顔しながら10数時間後に息を絶えた。

 遺書は2通。1通は長野に疎開中であった淑恵夫人に宛てたものであり、もう1通は、かれに見送られて十死零生の作戦に散った全特攻隊員に宛てたものであった。

日本刀(画像はイメージです)

「諸子は国の宝なり」…闘将が遺書に記した冷静な祈り

「特攻隊の英霊に曰(もう)す/善く戦ひたり深謝す/最後の勝利を信じつゝ/肉弾として散華(さんげ)せり
 然れ共其の信念は/遂に達成し得ざるに至れり/吾死を以て旧部下の/英霊と其の遺族に謝せんとす
 次に一般青壮年に告ぐ/我が死にして軽挙は/利敵行為なるを思ひ/聖旨に副(そ)ひ奉り/自重忍苦するの誡(いましめ)とも/ならば幸なり/隠忍するとも日本人たるの/矜持(きょうじ)を失ふ勿れ/諸子は国の宝なり/平時に処し猶ほ克(よ)く/特攻精神を堅持し/日本民族の福祉と/世界人類の和平の為/最善を尽せよ」

 終戦の天皇放送の流れるその直前まで、無条件降伏に反対し、全軍特攻を提唱し神州不滅を叫んでいた闘将とは思えないほどに、遺書には冷静な祈りが織りこまれている。徹底抗戦の主張から一転し、ここでは軽挙妄動をつつしめという。生き残った若い人たちに「諸子は国の宝なり」とよびかけ、これからの日本建設そして世界平和のために、特攻隊のような自己犠牲の精神を発揮し最善を尽せよ、と大西は願っている。