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「我等ハ最後ノ一人トナルモ…」

 しかし栗林は貴族的な持ち味や文才だけの、単なる文人派ではなかったのである。むしろ日本陸軍が生んだもっとも勇猛果敢な指揮官のひとりであった。かれは着任と同時に硫黄島に骨を埋める覚悟を決めている。また部下にも同じように決死の日本精神の練成を要求した。死ぬも生きるも一つ心をもって、の方針をうちだした。それはみずからが筆をとった「日本精神練成五誓」および「敢闘ノ誓」であり、これらを全軍に配布し、その徹底化をはかった。そのためには常に率先垂範、部下と苦楽をともにした。「敢闘ノ誓」の全文を引こう。

一 我等ハ全力ヲ奮ツテ本島ヲ守リ抜カン
一 我等ハ爆薬ヲ擁(イダ)キテ敵ノ戦車ニブツカリ之ヲ粉砕セン
一 我等ハ挺身敵中ニ斬込ミ敵ヲ鏖殺(おうさつ)セン
一 我等ハ一発必中ノ射撃ニ依ツテ敵ヲ撃チ斃(タオ)サン
一 我等ハ各自敵十人ヲ殪(タオ)サザレバ死ストモ死セズ
一 我等ハ最後ノ一人トナルモ「ゲリラ」ニ依ツテ敵ヲ悩マサン

 この敢闘精神と綿密周到な全島要塞化とをもって米軍の上陸を待ちうけたのである。そして昭和20年初頭、いよいよ米軍の来攻必至という状況下で、栗林はさらに「戦闘心得」を配布し、島の死守を徹底させた。

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摺鉢山側から見た硫黄島

「防禦(ぼうぎょ)戦闘」12項のうちのいくつかを引く。

四  爆薬で敵の戦車を打ち壊せ 敵数人を戦車と共に これぞ殊勲の最なるぞ
六  陣内に敵が入つても驚くな 陣地死守して打ち殺せ
八  長斃(ちょうたお)れても一人で陣地を守り抜け 任務第一勲(いさお)を立てよ
十  一人の強さが勝の因 苦戦に砕けて死を急ぐなよ膽(たん)の兵
十一 一人でも多く斃せば遂に勝つ 名誉の戦死は十人斃して死ぬるのだ
十二 負傷しても頑張り戦へ虜となるな 最後は敵と刺し違へ

一人の日本兵を殺すのに21発も弾丸を…

 こうして硫黄島防衛の将兵は、栗林の心をおのれの心として、最後の一兵となるまで戦いつづけたのである。

 従軍したアメリカの新聞記者が書いている。

「日本兵はなかなか死ななかった。地下要塞にたてこもった兵士を沈黙させるためには、何回も何回も壕を爆破しなければならなかった。重傷をうけながらも日本兵は、つぎつぎに破壊されていく地下壕のなかで頑強な抵抗をつづけた。ある海兵隊の軍曹は、一人の日本兵を殺すのに21発も弾丸を射たねばならなかったのである」