しかし孤島の戦闘は援軍のない日本軍将兵にとって、無残としかいいようのない状態になった。3月15日、日本軍の抵抗線はさすがにバラバラとなり、はじめて星条旗が硫黄島の全土にひるがえった。しかし洞窟に拠る日本軍の反撃はつづいた。翌16日、ついに一兵の救援も送ってこなかった大本営へ、栗林中将は訣別の電文を送った。
「戦局最後ノ関頭ニ直面セリ 敵来攻以来麾下(きか)将兵ノ敢闘ハ真ニ鬼神ヲ哭(なか)シムルモノアリ 特ニ想像ヲ越エタル物量的優勢ヲ以テスル陸海空ヨリノ攻撃ニ対シ 宛然(えんぜん)徒手空拳ヲ以テ克(よ)ク健闘ヲ続ケタルハ 小職自ラ聊(いささ)カ悦(よろこ)ヒトスル所ナリ
然レトモ飽クナキ敵ノ猛攻ニ相次テ斃(たお)レ 為ニ御期待ニ反シ此ノ要地ヲ敵手ニ委(ゆだ)ヌル外ナキニ至リシハ 小職ノ誠ニ恐懼(きょうく)ニ堪(た)ヘサル所ニシテ 幾重ニモ御詫申上ク 今ヤ弾丸尽キ水涸レ 全員反撃シ最後ノ敢闘ヲ行ハントスルニ方(あた)リ 熟々(つらつら)皇恩ヲ思ヒ 粉骨砕身モ亦悔イス 特ニ本島ヲ奪還セサル限リ皇土永遠ニ安カラサルニ思ヒ至リ 縦(たと)ヒ魂魄(こんぱく)トナルモ誓ツテ皇軍ノ捲土重来ノ魁(さきがけ)タランコトヲ期ス 茲ニ最後ノ関頭ニ立チ重ネテ衷情(ちゅうじょう)ヲ披瀝スルト共ニ 只管(ひたすら)皇国ノ必勝ト安泰トヲ祈念シツツ永(とこしな)ヘニ御別レ申上ク(以下略)」
洞窟内でコップ1杯の酒と煙草2本で今生の別れを…
そしてその電文の最後に中将は二首の歌を書きそえた。
国の為重きつとめを果し得で
矢弾尽き果て散るぞ悲しき
仇討たで野辺には朽ちじ吾は又
七度生れて矛を執らむぞ
さらにその翌17日、階級章・重要書類などを焼却、師団司令部内洞窟の全員はコップ1杯の酒と恩賜の煙草2本で、たがいに今生の別れを告げた。ときに栗林中将は左手に軍刀の柄を握りしめて淡々として訓示した。
「たとえ草を喰み、土を噛り、野に伏するとも断じて戦うところ死中おのずから活あるを信じています。ことここに至っては一人百殺、これ以外にありません。本職は諸君の忠誠を信じている。私の後に最後までつづいてください」
訣別電報を闘将栗林の遺書とみるべきか、あるいはこの訓示を最後の言葉と解すべきか。いずれにせよ、栗林中将以下の硫黄島防衛の将兵は真によく戦った、と賞するほかはない。
栗林中将の命のもと、残存の将兵が最後の突撃を敢行したのは3月26日未明。栗林自身も白だすきをかけ、軍刀をかざし「進め、進め」と先頭に立って、華々しく散っていった。
突進――それが騎兵の戦いの本領である、と栗林は常々語っていたという。