――先生方とのいい関係性が窺えます。師匠の萩本欽一が見栄晴さんについて「見栄晴は友達を作れるから芸がなくても生きていける」と話していたのも納得できます。

見栄晴 とにかく皆さんに感謝ですね。看護師さん含めて本当に全員いい方たちだった。入院先の若い看護師さんには、インスタ用の写真を撮ってもらうこともありました。もうお友達の気分っていうか、完全に命を預けてる存在。

 

 全部のことが初体験だから、中途半端に頭はデカくしないで、言われたことは全てこの先生たちに従おうと思って。先生がやれって言うこと、やるなって言うことが、いつの間にか自分の目標になってました。

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  ただひとつだけ気になってるのが、 一番最初に「癌だと思う」って言ってくれた看護師さんに会えてないんですよ。家の近所の病院なんだけど、そんな患者さんいっぱいいるだろうからわざわざ行くのも迷惑かなと思って。

――その方が最初に知らせてくれたんですもんね。ちなみに早期発見が難しいご病気とも言われていますが、健康診断などは受けられてましたか?

見栄晴 市のざっくりしたものは毎年受けてました。でも、癌家系じゃなかったから癌を意識したことは今まで1回もなかったです。

「嫁はずっと気丈に振る舞ってくれてたんだけど…」

――CT検査で癌が消えていたときは、ご家族の方も安心されたかと思います。

見栄晴 そうですね。2日は嫁と、お茶や水で乾杯しました。家族にとっても、あっという間でわけのわからない時間だったと思います。それに俺があまりにも今普通に過ごしてるから、娘なんて俺が癌だったことをもう忘れてるんじゃないかな(笑)。今ではすっかり生意気な娘に戻りましたけど、入院前に、学校帰りに神社で自分の小遣いでお守りを買ってきてくれたこともありました。

  嫁はずっと気丈に振る舞ってくれてたんだけど、「1月8日の日光旅行に戻りたい」ってボソッと言ったことがあって、それを思い出すとちょっと涙が出そうになる。癌だってわかる前の、酒飲んでた俺がいて、家族3人で何も気にしないで過ごした温泉旅行に戻りたいっていうのが本音なんだろうなって。

 

――見栄晴さんは、お母様の介護も経験されていますよね。今回のことで、自分が介護される側になる可能性についても考えられましたか?

見栄晴 介護の大変さっていうのはわかってるんで、それは考えました。家族になるべく迷惑かけないために病室でスクワットとかしてたんだけど、大腸の手術後だけは先生にやめてくれって言われたな(笑)。でも終活みたいなことはしなかったです。

――ご家族にとっても、見栄晴さんにとっても、大変な時間でしたね。

見栄晴 何がツラかったかと聞かれると、わからないぐらいあっという間の出来事。それぐらい切羽詰まってたのかもしれないし、考える暇がなかったのかもしれないし。やることは少ないけども、とにかく治すことに一生懸命だったんですよね。