俳優・東出昌大さんと、落語家・柳家喬太郎師匠による異色の落語対談。後編は、二人の落語ブーム観から、「真打こわい」の話、そして役者と噺家の大きな違いまで。まだまだ話は尽きません! (前編からつづく)
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今や、落語が好きって「カミングアウト」できるようになった
東出 落語ブームって言われていますけど、落語そのものと人々との関係って歴史的に見ると面白いなって思うんです。いろんなところに寄席があって、みんな夏になると何夜連続で怪談噺を聴いて涼をとるみたいな、生活に落語が根差していた時代。文楽、志ん生、金馬が人気を博したラジオ寄席ブームの時代。爆笑落語ブームもあったし、今みたいにドラマや漫画で、より多くの世代に支持される時代もある。
喬太郎 そう考えると隔世の感がするんですよ、今のブームって。今年僕は55になるんですが、大学の落研に入ったときには先輩にビックリされましてね。当時の落研なんてかっこ悪いものの象徴でしたから。戦後一番チャラチャラしていた80年代に、落語好きなんて自殺行為(笑)。「女の子にモテたくないのか」ってことです。つまり、ダサかったわけですよね。「落語ってじじいがそば食ったりするやつだろ」みたいなイメージ。ところが、今なんて「あ、俺、けっこう落語聴くけど」みたいなカミングアウト、普通にできちゃうでしょ。
東出 カミングアウト(笑)。今だと、深夜ラジオのファンってことも普通にカミングアウトできるようになりましたよね。
喬太郎 アハハハ、そうですよね。でも、そうやって落語が「ダサい」「かっこ悪い」ものではなくなったのは、ある段階で従来の落語というものがいっぺんなくなったからだと思っているんです。
東出 落語がなくなった?
喬太郎 ええ、従来の落語に対する固定観念が、おそらくチャラチャラした時代が終わったどこかの段階でプツッと消えてなくなったんじゃないかと。
東出 いったんそこで途切れているんですね。