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能登半島地震で「店を閉めようか」と迷った岡本さん

 私が店を訪れた時も、ドイツから来た一家が立ち寄った。52歳と53歳の夫妻、そして22歳の息子と17歳の娘。東京、松本(長野県)、高山(岐阜県)、金沢(石川県)と観光し、巌門に足を延ばしたのだと話していた。

 それほど人気があるにもかかわらず、岡本さんは能登半島地震の後、店を閉めようかと迷った。

海岸に巨石が落ちていた。上は通行止めになった道路。路肩から断崖が崩れている(巌門の近くで)

 あの日、2024年1月1日の午後4時6分、岡本さんは自宅を兼ねる店舗でテレビを見ていた。

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 突然、大きな揺れが起きた。テレビは震源が珠洲市で、最大震度は5強だったと速報した。

「『元日から地震だなんて……』と思ったか、思わないかの時でした」。午後4時10分、4分前とは比較にならないほど激しく長い揺れに襲われた。

 志賀町で計測された震度は7。

「あまりの出来事に、どんな揺れだったかさえ覚えていません。ガラスのガチャンという音、家がきしんでバリバリいう音。2階が落ちてきて潰されてしまう、と覚悟を決めました」

 自宅兼店舗は倒壊しないで済んだ。だが、敷地が海側にズレるようにして傾いたせいか、建物も海側へ傾いた。

 同居している消防士の息子は正月から出勤していたので、そのまま家に帰らず現場対応に追われた。岡本さんは一人で避難所に指定されている旧小学校へ向かった。

 大災害ではあったが、「1月1日に起きたので被害が少なくて済んだ」と、岡本さんは胸を撫で下ろす。志賀町に押し寄せた津波は波高が5mにも及んだからだ。

志賀町。このような場所もあるが、多くの道路は普通に通行できる

 店は例年11月から3月半ばまで閉めて、冬場のなぎの日には岩ノリ漁に出る。「多い日には50人ほどが岩場で獲ります。激しい揺れで転落したり、直後に来襲した津波に呑まれたりしたら、大惨事になるところでした。元日で漁が休みだったから、救われました」と話す。

「そんなことを言わないで」「開ければ何とかなる」全国から届いた激励

 旧小学校への避難は2週間ほど続けた。自宅兼店舗と往復しながら片づけをしたが、除雪されない坂道を車で行き来するのは怖かった。

 自宅兼店舗は半壊と判定され、「もう店は閉めよう」と考えることもあった。

 しかし、「そんなことを言わないで」「開ければ何とかなる」という激励が全国から届いた。突き動かされるようにして被災から3カ月後の4月3日、店を開けた。

 だが、以前のようには客が来ない。

 巌門をはじめとした能登金剛の海岸を見に来る人は激減した。

鷹の巣岩(左)と巌門

 それだけではない。30kmほど北上した輪島市門前には全国的に有名な總持(そうじ)寺祖院がある。門前地区も震度7の激震に見舞われ、被災状況は志賀町より深刻だ。さらにその先の輪島市中心部は、街が壊滅したに近い状態で、朝市が開かれていた商店街の一帯は火災で丸焼けになった。CMで全国に知られた白米千枚田など、珠洲市に続く海岸道路は絶景に次ぐ絶景だが、山の崩落が相次いで寸断されている。

「輪島を訪れたお客さんが『あまりに気の毒で見ていられなかった。行かなければよかった』と話していました」と、岡本さんは肩を落とす。

 奥能登観光の道すがら立ち寄る人は極めて少なく、私が訪れた日も節電のために電灯を半分消していたほどだった。

「せめて維持費が出れば、店を続けられるのですが」と岡本さんは漏らす。