案内看板はあるのに、「その物」が見当たらない。
周囲を探し回ったが、見つけられなかった。
作家、松本清張の歌碑である。
「地震で倒れたんですよ」。近くの人が教えてくれた。改めて現場に戻ると、確かにそれらしい石がある。短歌が刻まれた面がうつ伏せになっており、そこら辺の石と見分けがつかなくなっていたのだ。「行政には早く直してほしいと伝えているんですけど、もう半年以上が過ぎました」。教えてくれた人は諦め顔だ。
「能登金剛」が舞台の『ゼロの焦点』
石川県志賀(しか)町の巌門(がんもん)。奇岩や断崖が続く「能登金剛」の海岸でも最大の見どころになっている。
能登半島地震後の観光はどうなるのか。ドライブインで名物のラーメンを食べた後は(#3)、高さが15mもある海食洞門を目指す。
その前に能登観光とは切っても切れない縁がある松本清張の歌碑を見ようと思った。
1959年に刊行された長編推理小説『ゼロの焦点』は、社会派ミステリー作家と評された松本清張の代表作だ。「能登金剛」を舞台にして、敗戦後の混乱期に端を発した連続殺人事件を描いた。
1961年に映画化されると、能登半島ブームが起きた。「陸の孤島」のように見られていた能登半島に多くの観光客が押し寄せたのだ。
だが、副作用もあった。
「雲たれて ひとりたけれる 荒波を…」
映画化された時、能登金剛の一角にある「ヤセの断崖」がクライマックスシーンに選ばれた。海面からの高さは35m。見下ろすと身のやせる思いをすることから、「ヤセ」と名づけられた。同じ能登金剛でも巌門から車で30分ほどの場所にある。この映画以降、サスペンスドラマのクライマックスシーンは断崖が定番になった。
ところが、自殺に訪れる人が増えた。「ヤセの断崖には遺体が浮かばないという伝説ができ、自殺の名所になりました。実際にはどこかに流れ着き、“処理”が必要になるのですけれどね」と話す地元の人もいる。
歌碑の建立は小説の発刊から間もなく、能登金剛で自殺した女性の慰霊が目的だった。当時の旧富来(とぎ)町=平成大合併で志賀町=の職員が松本清張に依頼したのだという。
歌碑の案内看板には「この小説によって世に知られ、観光地としての導火線になったことを記念し、昭和36年、松本清張先生に碑文を依頼して建立したものです」と記されている。「雲たれて ひとりたけれる 荒波を かなしと思へり 能登の初旅」と詠まれた短歌には、小説のヒロインの悲劇的な運命と、自殺した女性への思いやりが感じられる。