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働けない者の苦しみは知られていない

「つながりが大事」という人たちは昨今大勢いて、その通りだとも思う。しかし、どこへ行っても誰と会っても上手くいかず、人間関係というものがもっとも苦手で負担である私にはその大事な「つながり」に関して完全に弱者である。人間嫌いという種族ならよかったのだが私は人が好きだ。幼稚なほど寂しがりで幼稚なほどコミュニケーションが下手で、「弱さでつながる」と言われても自分の弱さを嫌悪していて、場を壊し関係を壊し自分を 壊しそれでもつながりを希求している。自分が自分であることに罪悪感を覚えずにはいられない。

 オシゴトはその点、つながりなんて曖昧なものよりも何が求められているのかが理解しやすくそれに応えていけば良いのであって、私は働きたかった。労働でつながりたかった。書きながら私は安全に壊れていった。たった一人で書く間、私はいくらでも絶望でき嘆きながら渇望でき、リストカットをしたことはないけれど体を切り刻むような感触を確かに持って言葉を紡ぎ続けている。苦しみはあれど安心した。自分のような人間を断罪する行為も、これが労働であるという建前によりゆるされるようだった。私はなるべく周りに迷惑をかけず壊れたままでいたかった。それが私の普通の在り方のような気もした。

 

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 働けない者の苦しみはあまり知られていない。「選ばなければどんな仕事でもあるだろう」「福祉に頼ればいい」「働かない生き方もある」。そんな風に言われたりする。私は仕事から選ばれず、福祉はいつか働けるようになるための猶予であり、働かない生き方には高度なコミュニケーション能力が必要だった。

「王子様と結婚しました。めでたしめでたし」とならないことくらい現代の読者なら誰でも知っているけれど、「専業主婦になんか絶対なれない」と勤めに出る女性たちの多くが婚姻の有無を問わず嘲笑交じりによく口にすることはそれほど知られておらず、王子の求婚をはね除けドレスデザイナーになった女性の物語は作られても、灰を被ったまま技能を持たぬ女性が家庭に埋没する以外のハッピーエンドはいまだ目にしない。

 

 脳の認知資源の関係で私は一日2、3時間ほどしか書けず、その2、3時間のために家事育児を疎かにし、ぼんやりと上の空で次の原稿のことを考えており、子どもたちに「ママどうしたの?」と心配をかける。少なくともこんな人間になりたいわけがなかった。誰かを幸せにしたり、自分が幸せになったりすることに疑いを持たず暮らしていけるはずだと、そう教えられてきたし、若き日の私は「こんなことに負けてたまるか、絶対幸せになってやる」とも思った気がする。けれど、どこかのタイミングで私は幸せより一人壊れ続けることを選んだのだ。その方が自然だとも。

『まだ、うまく眠れない』