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結婚式の司会がきっかけで『オールナイトニッポン』に出演

 それから2年ほどして、友人から結婚式の司会を頼まれた。教会での挙式中、賛美歌を稲川は音痴なのに一人声を張り上げて歌っていると、歌詞に読めない字が出てきて詰まった途端、誰かが思わず吹き出し、それに釣られてみんな笑い出した。おかげで稲川は牧師から「きょうの主役はあなたじゃない」と怒られてしまう。このあとホテルに場を移すと、司会のため彼が前に出ただけでみんな吹き出したらしい。

©文藝春秋

 その結婚式ではこれ以外にも失敗の連続だったが、出席していたある放送作家が終宴後、稲川に「きょうは楽しかったです」と連絡先を聞いてきた。後日、電話がかかってきてニッポン放送に呼ばれると、その日深夜3時からの『オールナイトニッポン』2部で急遽ピンチヒッターとしてしゃべることになる。その後も毎週呼ばれるようになり、やがて正式にレギュラーのパーソナリティに起用された。

 テレビでも深夜のお色気番組でレポーターを務め、共演者から邪魔者扱いされる被虐的なキャラクターで存在感を示し、タレントとして認知され始める。もっとも、おかげで、それまで専門学校や短大で務めていたデザインの講師の仕事がぱったり来なくなったという。

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番組で出会った女性と結婚することに

 10歳下の夫人とも、稲川の出演していた『ミス・ティーン・コンテスト』という番組に高校生だった彼女が東北代表として出場したのが馴れ初めだった。約1年後に結婚しようかとなったとき、デザインか芸能界かどちらか一本に絞ろうと決意し、後者を選んだ。

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 この時点でデザインの仕事で月20万円ほどもらっていたのに対し、タレントの仕事では8万円ほど。それでも、デザインの世界には戻ろうと思えば戻れるけれど、芸能界はまだ駆け出しだったので一度やめればもう戻れないと判断し、デザインのほうをやめることにしたという(『週刊文春』1996年9月26日号)。

 おかげで一気に収入はなくなり、生まれたばかりの長男を抱えながら、しばらくカネに苦労することになる。あるときなど、妻が子供のミルクが買えないと言い出したので調べてみたら、貯金通帳を預けていたマネージャーの使い込みが発覚するということもあった。

 そんな生活のなか、怪獣ショーの司会などでしばらく稼いでいたが、それから3年ほどして急に暮らし向きがよくなる。そのころには稲川はテレビのバラエティ番組での身体を張った企画が当たり、すっかり売れっ子になっていた。