本日8月21日に77歳の喜寿を迎えた稲川淳二。かつてリアクション芸で一世を風靡し、グッドデザイン賞の受賞歴も持つという多才な彼は、いかにして“怪談を語る男”になったのか。家族との別居を続ける理由、「夏以外はテレビに出ない」と決めた背景とは……? (全2回の2回目/はじめから読む

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熊の檻、マムシが4000匹いるプールにも…リアクション芸で一世を風靡

 稲川といえば、体を張った企画で苦しんだり悶えたりするさまを見せる、いまで言うリアクション芸で一世を風靡した。それも駆け出しのレポーター時代からのことで、観ている人に楽しんでもらおうとするあまり、サーカスのカンガルーの檻に入ってボクシングをしてぶちのめされたり、熊の檻に入って滑り台によじのぼったりしていたらしい。熊のときは、喜んでくれるはずの観客がさすがに青くなっていたという。

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 これがだんだんエスカレートしていく。バラエティ番組で、トラの唇に口紅を塗ってキスマークをもらおうとして太ももを噛まれたり、マムシが4000匹いるプールの上を綱渡りして落ちてみせたりと、動物がらみだけでもいろんな企画に挑んだ。

テリー伊藤 ©文藝春秋

 熱湯風呂もかなり早い時期からやっており、テリー伊藤(当時は本名の伊藤輝夫で活動)がプロデューサーを務める番組では事前に企画の内容を知らないまま、撮影当日、昼間に海で真っ赤に日焼けして現場に来たところ、浴槽が用意されていたという。これには数々の過激な企画で知られた伊藤も《もう、火ぶくれって感じでそれで、ふつうでも入ったとたん逃げ出したくなるような熱い風呂に入ったんだから。/あれはかわいそうだった》と、のちに雑誌での座談会で同情した。これに対し稲川は《私は因幡の白うさぎじゃないっていうの》とツッコんでいる(『微笑』1985年11月30日号)。