「いじめを売り物にするな」と言われると…
稲川としてみれば人が喜んでくれたら本望であった。それでもいじめられていると言われることもしばしばで、ある男の子からは、いじめは一番卑怯なことだ、それを売り物にするなというはがきが届いた。彼はこれに対し、《わたしは、いじめられていると思ってはいない。それから、わたしはどんなに悲惨なことでも、自分でちゃんとクリアしている。お前たちはやられると、『ああ、いじめられている』とか、『ひどい目に遭っている』と言って何もできないだろう。わたしは相手がワニだろうがヘビだろうが、絶対に逃げたりはしない》と返事を書いたという(『週刊文春』1986年10月30日号)。
できれば見てる人を泣かしてみたい
ただ、一方で稲川のなかでは、80年代半ばのこの時期、最近のギャグには単に相手を突き飛ばせば面白いと言わんばかりの残酷なものが多すぎるという思いも募っていた。
《笑いというのはそんなものじゃないんじゃないかと思うんです。笑いというのは、意外と何気ない、むしろそうじゃない部分で情けなかったりとか、そういうものだと思うんです。僕自身としては、できれば見てる人を泣かしてみたいという気持ちがあります。温かい涙が一番いいですね。うんと温かいやつをね》(同上)
稲川のリアクション芸がウケたのも、滑稽でいながら、どこかペーソスがにじみ出ていたからではないだろうか。その人間臭さを買われてか、ドラマにもたびたび出演した。1992年にはNHKの大河ドラマ『信長 KING OF ZIPANGU』で、ポルトガル人宣教師とともに布教に回る修道士を演じている。このためにトレードマークのヒゲを剃って話題を呼んだ。
デザイナーの活動を再開し、グッドデザイン賞も受賞
リアクション芸で一番稼いでいた頃には、「身体がガタガタになって動けなくなっても、右手ひとつで線くらい引けるように」と友人のデザイン会社に再就職し、再びタレントと二足のわらじを履くようになっていた。工業デザイナーとしては、列車内で使われる検札機や初期のバーコードリーダーなどを手がけ、1996年には自然石を使った車止めでグッドデザイン賞も受賞した。