「要らない人、要らない命なんてないんですよ」

 怪談ばかりでなく、講演や街頭で障害者に対し理解を求める活動も行うようになった。2012年には、自分と次男について先述の手術の際の話も含めて新聞で告白し、反響を呼ぶ。その記事で稲川は、現在の日本の福祉政策や一般の人たちの障害者への態度にも疑問を投げかけ、最後は《世の中に要らない人、要らない命なんてないんですよ。それだけは、分かってください》と訴えた(『朝日新聞』2012年5月24日付朝刊)。

 次男はその翌年、26歳で死去した。このときばかりは夫婦で葬儀を出したが、稲川は《最後のお別れのとき、左目の端から赤く血がにじんでいたのが涙のように見えて、頑張ったなぁ、という気持ちで、思わず「26年も偉かったね」と口にしたら、女房から「26年も、じゃないでしょ!」と怒られてねぇ……》と振り返る(『AERA』前掲号)。

80代の男性から届いた一通の手紙

 この間も稲川は怪談を語り続けてきた。もともと怪談は商売にならないだろうから、あくまで趣味と割り切っていたという。だが、次男が生まれたころに届いた一通の手紙が、その考えを改めさせる。それは80代の高齢の男性が不思議な体験談を原稿用紙にびっしりとつづったものであった。これに稲川は、男性が自らの体験を託してくれたと思い、怪談に本腰を入れるようになったという(『プレジデント』2022年9月2日号)。

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©文藝春秋

 怪談ツアーの常連客のなかには、毎年会場で知り合いができ、気づけばここに来ると田舎に帰ったような気分になると手紙をくれた人もいるという。その人は幼い頃に両親を亡くし、親類の家をたらい回しにされたため、自分には故郷がないとずっと思っていたらしい(『サンデー毎日』2018年8月19・26日号)。そんなふうにさまざまな人の思いを背負いながら、今年の夏も稲川は怪談を語り続ける。