パリ五輪・スポーツクライミング女子複合で4位となった森秋彩(もりあい・20)。メダルは逃したものの、リード種目で全体最高点をたたき出し、その粘り強い登りに観衆が沸いた。
一方で、154cmの森が高い位置のホールドを掴み切れず、0点に終わった課題があったことについては「不公平」などと批判の声も挙がっている。彼女のクライミングの“本当の強さ”、4年後に起こりうる“ある変化”とは……? 2013年からスポーツクライミングの取材を続ける津金壱郎氏が読み解く。(#1を読む)
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日本のみならず世界中の人たちが、パリ五輪で彼女の存在に驚いただろう。ただし、そこで見たものは、森秋彩の才能のほんの一端に過ぎない。
リード1位で存在感を示した
五輪初出場の森は、準決勝を20選手中4位の成績で通過すると、8選手で争った決勝ではボルダー7位、リード1位で総合4位。メダルには届かなかったものの、リードでは完登に迫るクライミングで、五輪連覇を達成した“女王”ヤンヤ・ガンブレット(スロベニア・25)を上回る成績を残して存在感を示した。
前回東京五輪での森は、日本代表争いの途中でIOC、IFSC(国際スポーツクライミング連盟)、JMSCA(日本山岳・スポーツクライミング協会)の代表決定プロセスの齟齬によって、中途半端な形で五輪出場の道が閉ざされている。パリ五輪の競技内容について何度も「悔しい」を口にしながらも、その表情に晴れやかさがあったのは、五輪という大舞台にたどり着いた充実感があったからだろう。
攀じる強さと、高い持久力を育んだもの
森のクライミングの特長は、攀じる強さにある。「ボルダーのほうがリードよりも好き」という森が、リードで好成績を残しているのは、この特長を生かしやすい種目だからだ。
この攀じる能力や持久力が高まった背景には、森のこどもの頃からのクライミングの楽しみ方にあったように思う。私が初めて森に遭遇したのは、彼女が小学3年生だった2012年のことだ。客がまばらな昼間のボルダージムだから可能だったとはいえ、森は課題を登るのではなく、上へ下へ右へ左へとクライミングウォールから降りることなく自在に動き回っていた。
ボルダージムというのは、ウォール一面にホールドが取り付けられ、自由に登ることもできるが、そこに設定された課題を登って楽しむのが一般的だ。課題をゴールまで登ると達成感が得られる。そのため大人もこどもも課題のクリアを追いかけ、森のように登りそのものに没入する人は多くない。
もちろん森にも課題に打ち込む日はあっただろう。ただ、私が出会った日のように登る行為そのものに没入した時間の積み重ねが、彼女の攀じる能力や持久力を人並み以上へと育んだのだろう。