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羽賀研二からの“エール”の内容は…

《突然の報道を見てビックリしています! 色々ありお互いの道を選択してもう二十数年。こんな書き込みをすると!余計な事を言う人達がいるけど!無視はできない!》

羽賀が自身のインスタグラムに投稿した“エール”(羽賀研二のインスタグラムより)

《連日の報道! 女性としてはとても辛い大きな決断! 悩み!苦しみ!希望を失った!多くの人達の指標として大きな一歩を踏み出した。悲しみの中にいるはずなのに強さすら感じる。絶対に負けないで! 貴方は強い! 必ず勝ちます! 頑張って》

《楽しかったこと! 苦しかったこと! 色々なことを思い出す。話したくて! 何か手伝いたくて。負けないで! 必ず勝てます! 頑張って!》

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羽賀研二のインスタグラムより

ネット上では「何をいまさら……」と冷めた声も

 芸能記者が語る。

「羽賀とアンナの熱愛が発覚したのは1994年。2人で“ペアヌード”写真集を出すなど、大きな話題になりました。しかし、羽賀の巨額の借金や浮気が発覚したことで、アンナの父親の梅宮辰夫が猛烈に交際に反対。羽賀は記者会見を開くなどし、交際を継続したいと訴えていましたが、99年に破局しました。

篠山紀信が撮影した“ペアヌード写真集”『アンナ 愛の日記』

 その後、2007年に未公開株を高値で売りつけたとして詐欺・恐喝容疑で逮捕され、13年に実刑判決が確定し、沖縄刑務所に服役。また、妻に財産分与をしたのは、偽装離婚による財産隠しに当たるとして、19年に再度逮捕。

 出所後は友人とともに立ち上げた人材派遣会社に勤める一方、YouTuberとしても活動。『いつか芸能界に戻りたい』とインタビューで明かすなどしていました。そんな中でのアンナへのエールで、ネット上では『何をいまさら……』と冷めた声も多く聞こえました」

 当人は3通のエールをどう受け止めたのか。梅宮が続ける。