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 つまり罵詈雑言を吐く子供のことを「対戦ゲームのせいで豹変した」と解釈するのは間違いである。われわれはもともと内なる獣を飼っており、それを倫理や知識で抑え込んでいるに過ぎない。むしろ、己の凶暴さを自覚して、それを飼いならす必要があるだろう。親としては、そういう状況に陥ったときにどういう態度をとるべきか教える機会だといえる。あるいは、怒り狂っている様子を動画に収めて客観視させてもいいだろう。

 かくいう筆者も対戦ゲームでいらつきを覚えた人物であり、ここからいくつかのことを学んだ。まず「他人に期待してはならない」。他人は自分の思い通りにならないというのは極めて当たり前のことだが、それでもどこか自分のなかに甘えがあり、怒りが湧き出てしまうのだ。

 そして「自分で世界を変えるには限界がある」。作品によるが、チーム対戦ゲームはひとりだけうまくても戦況を変えることが難しい。飛び抜けた能力を持たなければ実現不可能で、そうでない人間は期待できない仲間と協力する必要がある。

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 もうひとつは「敵も仲間」というものだ。対戦ゲームにおいては敵陣にいる人間たちもまた同じゲームを遊ぶ仲間である。相手がいなければ対戦が成り立たない。どれほど厄介に見える相手でも、遊んでくれるのはありがたいことではないか。

 人生哲学のような話になってしまったが、対戦ゲームでストレスを得ることによって物事の見え方が変わることもある。こういった経験を比較的に安全な領域で得られるのもゲームならではだろう。

コミュニケーションは最高に楽しく、最高に危ない

 子供がゲームに関するコミュニケーションの問題に巻き込まれることがある。

©milatas/イメージマート

 なんとなく「任天堂のゲームは安心」というイメージを持っている親御さんもいると思うが、実は過去にニンテンドー3DSの『いつの間に交換日記』などで、公序良俗に反する写真が送受信されてしまう事例が発生したことがある。

 具体的には、インターネットを通じて文章・写真を送れる機能により、小学生の女児に裸の写真を送信させるといった事件などが発生したのだ。これを受け、任天堂はこれらのインターネット関連サービスを停止。後続のゲーム機であるNintendo Switchでは、そもそも問題を発生させないためか、カメラ機能やブラウザ機能をなくしている。