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あの謝罪放送で、放送作家としての僕は死んだ

 僕のほうはといえば、いまだによく聞かれます。SMAPと過ごした日々のことを小説仕立てにした『もう明日が待っている』を書いたのはなぜだったのか? と。

 もともとは謝罪放送について触れた最後の2章を、月刊「文藝春秋」2023年1月号に掲載したのが始まりでした。のちにその前段階を書き足して、2024年3月31日に書籍として刊行したわけですが、これをなぜ書いたのかと問われると、自分でもうまく答えが見つかりません。

 謝罪放送のことを書いたときには、これで放送作家の仕事を干されるかもしれないと思いましたが、それでもいいやという気持ちが上回りました。それくらいあの出来事が解せなかったんです。あの放送がされてしまった瞬間、放送作家としての僕は死んだと心から思いました。

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草彅剛 ©時事通信社

 ファンの人たちは、僕以上に納得がいかなかったことでしょう。あの日からやり切れない気持ちを抱えたままでいる人に対して、僕が見たことを書き記すことによって、ほんの1ミリでもいいから光明を見出してもらいたいという気持ちです。

 SMAPというグループが消え、マネージャーの飯島さんともスタンスは変わるしかない。あれ以降の僕は放送作家としてのスイッチがうまく入らなくなってしまいました。それで放送作家を辞めて、まったく新しい世界へ活動の場を移すことにしたのです。

起業をしようとする若い人たちを支援

 新たに始めたのはベンチャーキャピタル。新しいビジネスに挑戦しようとする若い人たちの相談相手となったり、支援をする仕事です。これまでテレビ番組に携わるときでも、できるかぎり広く世の中を見渡しながらつくってきたつもりなので、人や事業を見極める目は意外にあるほうだと思っています。

 起業をしようとする若い人たちに熱気があるのもいい。かつて多くのテレビマンが帯びていた熱と近いものが、いまはこの領域にあるのだと感じられてうれしいです。彼らといっしょに過ごしていると、自分からもアドレナリンが出る感覚が得られるんですよ。