誰もがその名を知る存在なのに、実像はなかなかつかめない。それでよけいに勝手なイメージが増幅し、肥大化した虚像がひとり歩きしていく―― 。それが木村拓哉という存在だ。真の姿を知りたいものだが、それを語れる適任者は思いつかない。いや、ひとりだけいる。放送作家として長年、木村拓哉およびSMAPの面々と苦楽を共にしてきた、鈴木おさむである。

 2024年3月31日に放送作家引退したのを機に、「小説SMAP」をうたった『もう明日が待っている』を刊行。SMAPの素顔の一端を明かしたのは記憶に新しい。テレビの世界を離れて約半年。いまだから語れる「木村拓哉論」「SMAP論」を伺おう。(全2回の1回目/#2に続く

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初対面はラジオ番組の仕事で

『もう明日が待っている』にも書きましたが、僕が木村拓哉さんと初めて会ったのは1994年12月のこと。TOKYO FMで新しく始まるラジオ番組「木村拓哉のWhat’s UP SMAP!」に放送作家として加わることとなり、スタジオで顔合わせをしました。

 当時の木村拓哉といえば、前年に出演したテレビドラマ『あすなろ白書』で人気に火が着き、いまのような大スターになる直前の状態です。

木村拓哉 ©時事通信社

 生意気盛りだった僕は、ナメられてなるものかと勝手に思い込み、初対面だというのに彼へ言い放ちます。

「俺、『夢モリ』嫌いなんだよね」

 SMAPが出演していた人気番組「夢がMORI MORI」のことを、いきなりぶった斬ったんです。

 失礼な話だし、ふつうなら怒り出してもおかしくない。でも彼は笑いながら、「俺も」と言って握手をしてくれた。

 そういうこと言うヤツおもしろいじゃん、と受け入れる度量がすでに備わっていたんですね。

 ふたりとも同じ22歳ということもあって、すぐに距離が縮まりました。当時の彼の周りには同年代の仕事仲間が少なかったんじゃないかと思います。

 番組自体にも、FMラジオから世を騒がせたい! という熱気がありました。担当のディレクターともども、おもしろいことは何でもやってやろうと意気込んで、毎週ぶっ飛んだ内容を放送しました。