老若男女に愛されるという資質
老若男女に愛されるという資質が、その後の木村拓哉の大ブレイクのベースとなったのは間違いありません。
ふつうアイドルとしてワーキャー言われるようになると、その状況に浸ってしまいがちなものですが、彼は決して呑まれたりしなかった。ルックスがいいだけじゃダメで、それじゃ長続きしないとよくわかっていたんです。
そこで彼は、自分なりの「カッコいい」の基準を持ち、スタイルを磨き続けようとしました。
そのために彼がしていたことの中のひとつ。カッコいい大人たちと積極的に交わり、彼らのカッコよさを熱心に摂取し、取り入れようとしていたと思います。
幸い木村拓哉さんの周りには、カッコいい大人がたくさんいました。名だたるミュージシャンだったり、糸井重里さんのようなクリエイターだったり……。
「カッコいい木村拓哉」をコツコツ築いた
出会って2年目のこと。ラジオの収録が終わり遊んでいたとき、「すごくいい歌があるんだよ」と彼が言ってきました。実川俊晴さんが「あんしんパパ」名義で発表していた、『はじめてのチュウ』。「キテレツ大百科」のオープニング・エンディング曲として知られ始めていたけれど、まだ知られざる名曲という扱いでした。
この曲を彼に教えた大人が、きっといたはずです。彼はそれを自分の耳で聴いて、よさを理解し、レパートリーに加えます。いち早くカバーしてライブや番組で歌い、世の中に「これ、いい曲だよね」と知らしめていったのです。
彼は20代前半のうちからカッコいい大人に倣い、センスのいいものと出逢うことに時間を割き、「カッコいい木村拓哉」をコツコツ築いてきたんだと思います。人としてのセンスを磨き続けるセルフプロデュース力こそ、木村拓哉を国民的な存在へと駆け上がらせていった原動力でした。
それを考えると、彼が明石家さんまさんと仲がいいのは、すごく納得がいきます。ふたりとも「オン」と「オフ」がなく、24時間ずっと「オン」の人たちだから、気持ちを理解し合えるのでしょう。彼らはいつだって明石家さんまであり、いつも木村拓哉ですから。おそらく木村拓哉は、だれも見ていないときでも、木村拓哉なんだと思います。