彼女が打ち出す方針は、いつもちゃんと筋が通っているところもスゴい。
木村拓哉はブレイク前夜、付き合っていた彼女の存在を隠さずにいました。ファンのだれもが彼女の名前まで知っていた。あの時代にそのスタンスはかなり新しかったものです。
木村拓哉の生来の性格からして、いらぬ隠しごとをしたくなかったのでしょうが、大っぴらにできたのは飯島さんの意向もあったのだと思います。
飯島さんのマネージング方針は、事実であることを隠さないスタイルでした。どんなことでもタブーをつくらず、決してコソコソせず、認めるところは認める。そう、「男らしさ」ということを、飯島さんはいつも大事にしていたのです。
2000年に人気絶頂の木村拓哉が電撃結婚したときも、飯島さんの筋の通し方は際立っていました。
結婚をすっぱ抜かれ…会見を躊躇する木村に言ったひとこと
彼が結婚する事実を、僕は早い段階で知らされたひとりでした。あるときラジオ番組の収録に立ち会っていると、彼がスタジオのブース内に僕を招き入れ、結婚と子どもを授かったことを報告してくれた。
僕は大いに驚いて、収録が終わるとすぐ飯島さんに電話しました。
「今日聞きました」
そう告げると飯島さんは、
「あ、聞いた?」
と冷静な応答。「そうなの、いや困ってんのよ!」といった言葉を想像していたのに、思いのほか落ち着いていた。ああ、もうすでに飯島さんは、結婚と子どもが生まれることをしっかり受け止め、堂々と対応していく覚悟を決めているのだとわかりました。
「木村拓哉、結婚」のニュースは、年内いっぱい続くSMAPのライブツアーが最終日を迎えたあと、会見を開き発表する予定でいました。ところが先んじて、あるスポーツ新聞に「入籍」「妊娠」とすっぱ抜かれてしまった。
そのときの飯島さんの対応は素早かった。その日のライブ終了後に、急遽会見をすると決断したのです。木村拓哉本人が珍しく躊躇するのを見て、飯島さんは言いました。
「男らしくない!」
事実は事実と認め、覚悟を決めて向き合うんだという飯島さんの信念が、このひとことに凝縮されていました。
飯島さんの筋の通った立ち居振る舞いが、木村拓哉のイメージづくりに大きく寄与してきたことは、間違いないところでしょう。