2024年3月に放送作家を引退したのを機に、「小説SMAP」をうたった『もう明日が待っている』を刊行。SMAPの素顔を余すところなく描き出したのが鈴木おさむさんである。

 テレビの世界を離れて半年。いまこそ語れる「SMAP論」を、存分に披露していただこう。今回はSMAPのリーダー、中居正広について。(全2回の1回目/後編に続く

中居正広

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だれよりもグループのことを考えた

 中居正広さんといえば、言わずと知れたSMAPのリーダー。いつも先頭に立って明るい笑顔をふりまき、グループを引っ張っていました。同時にそんな立場だからこそ、SMAPという人気グループを維持していくためにだれよりも苦しみもがいてきたのだとも思います。

 SMAPは1988年に結成、1991年にCDデビューしますが、当初は鳴かず飛ばずでした。なんとか突破口を見つけようとして、テレビのバラエティー番組へと進出します。先頭に立って切り込んでいったのは、リーダーの中居さんでした。

 その路線を進むうえで転機となったのは1994年のこと。中居さんと香取慎吾さんが、『笑っていいとも!』のレギュラー出演者になったときでしょう。

 人気番組への抜擢ではあるのですが、これは前例のないイバラの道でした。というのも、当時はお笑いがいまよりもっと神格化されていた時代。『笑っていいとも!』というお笑いの檜舞台に、なぜアイドルなんか混ぜるんだ? という声もかなりあったのです。

従来のアイドル像を脱ぎ捨てる覚悟

 中居さんも香取さんも、そういう空気を肌で感じていたのだと思います。だから決意を固め、決死の覚悟で参入する必要がありました。

鈴木おさむさん ©文藝春秋

 それまでのアイドルといえば、お笑いをしても限界があった。大人がそれを見て笑うことはなく、結果「かわいい」ということばかり。

 SMAPの面々は、それじゃ足りないと最初からわかっていた。バラエティーの世界で受け入れられるためなら従来のアイドル像なんて脱ぎ捨て、全身タイツを着るのもバカげたメイクをするのも厭わない覚悟がありました。

 中居さんたちが『笑っていいとも!』に参入した時期は、番組自体も変化のタイミングにありました。そのすこし前から、1982年以来続くお化け番組もさすがに失速し、視聴率が落ちていたのです。