そして1998年1月につんく♂の作詞・作曲による「モーニングコーヒー」でメジャーデビュー。そこからヒットが続き、いきなり同年の『NHK紅白歌合戦』初出場。現在も続くモー娘。の歴史が始まる。
実はつんく♂が属するシャ乱Qにも、似たような経歴があった。頭角を現したのは、大阪のストリートライブ、いわゆる「城天」。その後コンテストで優勝したことをきっかけにメジャーデビューとなった。
つまり、つんく♂もまた、モー娘。と同様インディーズを経てメジャーデビューしたのだった。その点、両者にはエリートではないたたき上げ特有の“下剋上”感があった。
バラエティーというよりドキュメンタリー
そもそもモーニング娘。結成が、ある意味“下剋上”の産物だった。
1995年にスタートした『ASAYAN』は、「夢のオーディションバラエティー。」と銘打ち、多彩なオーディションを開催。CHEMISTRYや鈴木あみ(現・鈴木亜美)を生んだ歌手オーディション以外に、ごあきうえが優勝したファッションデザイナーのオーディションなどもあった。
そのなかのひとつが1997年の「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」。このときは、シャ乱Q全員で審査するかたちだった。
中澤裕子以下の5人も、このオーディションにエントリーしていた。だが優勝したのは平家みちよ(現・みちよ)。普通ならここで終了である。ところが何も知らず呼び出された5人は、つんく♂から新グループの結成を言い渡される。
つまり、敗者復活である。これがまずオーディションとしては前代未聞、掟破りの一手だった。しかもそれは珍しいことではなく、『ASAYAN』という番組自体が予想外の展開の連続だった。よく「大問題勃発。」「急展開。」といったテロップが仰々しい効果音とともに画面に大写しされていたのを覚えているひともいるだろう。
そのあたりは、バラエティー番組というよりドキュメンタリー番組である。元々オーディションにはドキュメンタリー的な要素があるが、それを徹底させたのが『ASAYAN』だった。