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ご主人は沖縄出身、せわしない大阪で感じたギャップ

 趣旨をお伝えしたら、ずっと厨房にいらっしゃった店主の小波津(こはつ)良昌さんが出てきてくださった。54歳だとおっしゃるが、2代目なのだろうか。

「いや、(店自体は)もう何代も続いています。もともとは経営母体の会社があったんですけど、平成15年に会社が閉鎖になったとき、僕は店長をやってたんで、それで継ぐことになって」

 

 ご出身は沖縄で、高校卒業後に就職のため大阪に出てきた。母体になっていた会社は中華料理チェーンを運営しており、高校の先輩が何人か働いていたこともあって就職を決めたのだという。高校時代にラーメン屋でアルバイトしていたことも、入社のきっかけのひとつになったようだ。

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 以来、昭和47年10月に創業したこの店で堅実に働いてきた。18歳で沖縄から大阪へ単身で移るとなると不安も多そうだが、高校生のころからアルバイト漬けで親とはすれ違いの生活だったため、ホームシックに悩まされるようなことはなかったようだ。ただし、ことばにはそれなりに苦労されたらしい。
 
「関西弁が、最初はなかなか。(生まれ故郷の沖縄には)方言があるんですけど、もともとは配属が沖縄の先輩と一緒だったんでなんとかなったんです。でも、そのあと転勤の話が出て、それで」

 

 実家は首里城の近く。6人きょうだいの末っ子で、他界されたご両親は、最後は造園関係の仕事をしていたそうだ。
 
 ところで、沖縄の人にはのんびりとしたイメージがある。という感じ方には多少なりとも偏見が混じっているかもしれないが、せわしい大阪に出てきて違和感はなかっただろうか。