物語のひとつの折り返し地点を迎えたNHK大河ドラマ『光る君へ』。作品の中では、いよいよまひろ(紫式部)が『源氏物語』を書き始めた。娘である中宮(ちゅうぐう)彰子(しょうし)のもとに帝(一条天皇)の渡りがないことを重く見て、道長は帝のお気持ちを彰子に振り向けるためにまひろに物語の執筆を頼み込む。作品の骨格にも道長が関与しているという筋立てだ。今後、まひろは女房として宮仕えを始め、彰子サロンを盛り立てる大事な役割を担うようになるはずだ。では、このサロンとはどのようなものだったのか?『源氏物語』はいかに書かれていくのか? 木村朗子さん『紫式部と男たち』(文春新書)より一部抜粋してお届けする。

中宮彰子サロンと女房たち

栄花(えいが)物語』によると、長保(ちょうほう)元(九九九)年十一月一日の彰子入内(じゅだい)に際して、道長は、女房四十人、童女(わらわめ)六人、下仕(しもづかへ)六人を選びに選び抜いた。単に容姿や人柄の良いというだけでなく、四位(しい)、五位の家の娘のなかでもとりわけ「ものきよらかに、成出(なりいで)よき」ものばかりを選んだとある。要するに育ちのよいお嬢様ばかりを揃えたわけである。ところが、これがまったくの戦略ミスで、彰子サロンはすこぶるさえなかったのである。

『紫式部と男たち』(文春新書)

 彰子が十二歳を迎えるとすぐに成人の儀である裳着(もぎ)を終え、入内する。女御(にょうご)となり、中宮となるが、十二歳では身体はいまだ出産できる状態にはない。一条天皇が氏の長者となった道長をはばかって彰子サロンにやってきたきたとしても男女の仲らいにはならない。

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 そこで一条天皇を彰子サロンに惹きつけるために用意されたのは豪華歌絵本だった。当時の宮廷おかかえ絵師であった巨勢弘高(こせのひろたか)が絵を描き、能書家(のうしょか)の行成が和歌を書いた歌絵の冊子をあつらえたのだという。道長は、行成の達筆に頼ってなんとか文化的に一条天皇を惹きつけようとしたのである。せめてそこに魅力的な大人の女房がいれば、召人(めしうど)として夜を過ごしていくこともあったろう。ところが集められたのは名家のお嬢様であるから、彰子とどっこいどっこいの幼く気の利かない女たちばかりだったのである。