物語のひとつの折り返し地点を迎えたNHK大河ドラマ『光る君へ』。作品の中では、いよいよまひろ(紫式部)が『源氏物語』を書き始めた。娘である中宮(ちゅうぐう)彰子(しょうし)のもとに帝(一条天皇)の渡りがないことを重く見て、道長は帝のお気持ちを彰子に振り向けるためにまひろに物語の執筆を頼み込む。作品の骨格にも道長が関与しているという筋立てだ。今後、まひろは女房として宮仕えを始め、彰子サロンを盛り立てる大事な役割を担うようになるはずだ。『源氏物語』はいかに書かれ、評判を呼んだのか? 紫式部は同時代の女性の書き手をどう見ていたのか? 木村朗子さん『紫式部と男たち』(文春新書)より『紫式部日記』を読み解く箇所を一部抜粋してお届けする。

紫式部の辛口女房評――和泉式部、赤染衛門、清少納言について

 紫式部が我がサロンについて述べた箇所につづくのが、かの有名な和泉式部(いずみしきぶ)赤染衛門(あかぞめえもん)、清少納言についての辛口批評である。まず、筆頭候補であったのか、和泉式部評が書かれている。

 和泉式部という人とは、趣きのあるやりとりをしたことがあります。けれど、和泉式部はけしからんところのある人です。気軽に走り書きしたような手紙にも文才があるし、ちょっとした言葉づかいが美しいのです。和歌はたいそうすばらしい。古歌を暗記して、歌ことばの決まりなどがよくわかっている、いわゆる職業歌人というふうではないが、口からふとでてくることばに必ず魅力のある一節があって、目をひく詠みぶり。ただし人の詠んだ歌を批評したりする心得があるわけではない。理屈抜きに自然と歌が詠めてしまう人なのでしょう。立派な歌詠みというわけではありません。

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 和泉式部の和歌は素直な詠みぶりで実にいいのである。『和泉式部日記』は恋人だった敦道(あつみち)親王との恋のはじまりから、(やしき)に引き取られ召人の女房となるまでを歌のやりとりでつづった恋愛歌物語で、和泉式部の才能を十二分に発揮した魅力的な一書である。ただし、体系だった学問としての和歌に詳しいわけではないので、おそらく人に教えるような役には向いてはいなかっただろう。

和泉式部 Hannah, Public domain, via Wikimedia Commons

 次に赤染衛門評があるが、道長の栄華をたたえるために書かれた歴史書『栄花物語』を書いたと言われている人で、もともと道長の正妻倫子(りんし)のもとで女房をしていたらしく、紫式部の大先輩。大江匡衡(おおえのまさひら)の北の方なので官中で、あるいは道長の邸で匡衡衛門と呼ばれている。歌詠みとしては何かにつけて詠み散らかしたりはしないが、知られているものにはすぐれたものがあると讃えている。それに続くのが清少納言評である。