世界の文学作品をみわたしても、『源氏物語』の完成度の高さと面白さは文学史上の最高峰にあることは疑いもない。ところが、日本の学校教育を受けた多くの人たちにとって『源氏物語』は国語の時間に習うものであり、古典文学というのは受験のために勉強するものであってぜひとも読みたいものではない。一念発起して、いざ読んでみても、なんだか光源氏にはムカムカしてくるし、とうてい楽しめないということがある。
日本文学を専門としていない大学で若い学生たちと『源氏物語』を読むと、光源氏が紫の上に恋するのは「ロリコン」趣味だ、末摘花が不美人であるという設定は「ルッキズム」ではないか、「不倫」する男は許せないといった感想が必ずと言っていいほどでてくる。いずれも本書にあがるトピックだ。本書は、そうした今の読者たちがふつうに思うことをすくい取りながら読み進める方法を示してくれる。
これは簡単なようでいてかなり難しいことなのである。というのも、アメリカ文学から専攻を変えて『源氏物語』研究をはじめ、日本文学の基礎がない私などは、「あなたは『源氏物語』をちっとも読めていない」とゼミで注意されつづけ、ふつうに頭に思い浮かぶような一般的な疑問なんぞおよそ口にはできなかったからだ(それとも、うっかり口にしてしまっていて、そんな注意を受けていたのかもしれない)。
ましてやナオコーラさんは日本文学科で学び、卒論に『源氏物語』の浮舟論を書いたのだという。「だんだんと、『研究を頑張る』ことは、『読書を楽しむ』こととは別問題だと思うように」なったとあるのがことのほかしみた。本書はその上であえて「現代ならではの楽しみ方」を提案してくれるのである。原文の引用には登場人物が「藤壺ちゃん」、「光くん」と呼びかける軽快な「ナオコーラ訳」がついてわかりやすい。桐壺更衣ではじまり浮舟で終わる長編の一貫性を示した読みも興味深い。
本書に取り上げられるトピックは、フェミニズム、ジェンダー、セクシュアリティなどの議論がもたらした読み方でもある。『源氏物語』研究にジェンダー論が入ってきたのはちょうど94年のことだが、古典文学の研究論文に横文字を使うのは品がないと言われていた時代でもあったので、『源氏物語』の王道研究ではそんなことは教えられてはいなかったかもしれない。
90年代に入ってきた議論にはノンバイナリーやポリアモリーの視角はまだなかったし、みるみるうちに疑問の持ち方も変わっていった。この変化のスピードにほとんどふり落とされそうになるが、本書ではそれもまたそのときの読み方として否定されはしない。むしろいろんなことを考えながら読み継がれることで未来の読者に橋渡しされていくというのだ。『源氏物語』にとってアカルイミライになりそうだ。
山崎ナオコーラ/1978年福岡県生まれ、埼玉県育ち。2004年「人のセックスを笑うな」で文藝賞を受賞しデビュー。2017年、『美しい距離』で島清恋愛文学賞を受賞。他の著書に『可愛い世の中』『リボンの男』『肉体のジェンダーを笑うな』など。
きむらさえこ/1968年生まれ。津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授。著書に『平安貴族サバイバル』など。