『サーカスの子』(稲泉連 著)講談社

 稲泉連は不思議な人物である。1979年生まれで、右肩上がりだった日本の高度経済成長期を実際に生きたわけではなく、全国民が浮かれたバブル時代はほんの子どもだったにもかかわらず、すべてを実体験したように、その後の喪失感を内包している。内面は老成しているのに、たったいま路上で子犬を拾ってしまい、途方に暮れた男の子のような目を持つ。

 そして書き手となったいまは、世を揺るがした大事件や名の知られた人物からは背を向け、「小さきもの」に眼差しを向け続ける。多くの人がとうに忘れ去った日本が彼の中で、冷凍保存されている――そんな印象をずっと抱いていた。

 彼がまとう時空間のゆがみ――いや、超越と呼ぼう――は何に起因しているのか。その答えが本書にある。

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 小学校へ上がる前の約1年間、サーカスで暮らしていたのだ。

 彼の母親は、言わずと知れた優れた書き手の久田恵だが、シングルマザーだった彼女は1983年、4歳の息子「れんれん」(連の当時の愛称)を連れ、木更津でテントを張っていたキグレサーカスに入る。担当は炊事係。母が働く間、連は他の子どもたちと象にりんごをあげたり、大天幕の裾を上げて舞台を見たり、敷地内でじゃれあったりした。ぷうんと湧き立つ土の匂い。あちこちに広がる水たまり。それが連の原風景だ。そんなキグレサーカスが負債を抱えて廃業したのは2010年のこと。彼は心の故郷を完全に失ったのだった。

「夢と現(うつつ)が混ざり合ったあわいのある場所」、サーカス。旅を日常として生きた芸人たちは、現実社会に出たあと、どう生きたのか。40年近い年月を経て、彼は当時の芸人たちの物語を聞きに行った。

「れんれんはいつも泣いていたね」と切り出しながら、彼らはその後の人生を語り始める。サーカスは一瞬現実を忘れさせてくれる華やかな虚構の世界。来る者拒まず、去る者追わずのやさしい共同体。だが現実社会では退屈な日常が永遠に続き、助けてくれる人は誰もいない。外の世界の厳しさに誰もが苦悩していた。

「お祭りというものが終わった時の、あの寂しさを経験したことがなかったのね」

 一方、失われた故郷をめぐる旅は、母と向き直る時間でもあった。サーカスを選んだ理由を「小学校に入る前のあなたにほんの少し、子供らしい時間をプレゼントしてあげたかったから」と言う母が、他の団員から「あなたは早く帰れ」と諭されていたことも、初めて知った。

「1年が限度だよ。そうじゃないと、帰れなくなってしまう」

 別世界にいたという決して忘れられない記憶。帰りたい場所。完全に失われたからこそ輝き続ける、奇跡のような時間。

 それを手放さないからこそ、いまの稲泉連は生まれたのだ。私はそう確信した。

いないずみれん/1979年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学第二文学部卒業。2005年『ぼくもいくさに征くのだけれど』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。他の著書に『豊田章男が愛したテストドライバー』『「本をつくる」という仕事』『日本人宇宙飛行士』など。
 

ほしのひろみ/1966年、東京都戸越銀座生まれ。ノンフィクション作家。『世界は五反田から始まった』で大佛次郎賞を受賞。