――出身は、京都の宇治市ですよね。
鎧塚 昔の宇治って、おっかない人がいっぱいいたんですよ。やっちゃいけないこと、守らなきゃいけないこと、それでもつっぱらなきゃいけないことっていうのがあって。そういうなかで揉まれたというか、いろいろ社会勉強させてもらったようにも思います。真面目な子たちにとっては最初から関係ないことだったけど、ヤンチャな子って、そういうのが大事だったんですよ。
その経験は、いまものすごく役に立っていますね。おっかない人とどうこう……ではないですが、仕事をしていると色々な方と会いますから。
子どもの頃から料理人になりたかった
――高校生の頃から、パティシエを目指していたのですか。
鎧塚 パティシエは、頭になかったですね。でも子どもの頃から料理人にはなりたかったんですよ。『世界の料理ショー』というカナダの料理番組があって、ホストを務めていたグラハム・カーにムチャクチャ憧れて。
――どういったところに影響を。
鎧塚 グラハム・カーって、出てくるや、いきなりワインを飲むんですよね。バーッとワインを飲んで、軽妙なジョークを飛ばして、そこで笑いを取ってから、料理を作り出す。で、作ったら、まず自分で食べる。自分で作って、自分で食べて、「わあ、おいしい」みたいなことを言って。
で、スタジオで観覧していたお客様を一人選んで、一緒に食べてエンディングを迎えるんです。洒脱というか、粋というか。番組の雰囲気も素晴らしかったし、とにかく出てくる料理が「食べてみたい」と思わせるものばかりで、「よし、料理人になろう」と思っていました。いまも、その影響を受けていますね。
家族はみんな職人気質
――家具職人の祖父と父から「腕をつけたら、一生食いっぱぐれない」と言われて育ったそうですが、それゆえに勤め人になるつもりがなかったところは。
鎧塚 そうですね。僕には兄と姉がいるんですけど、きょうだいもみんな職人気質かもしれません。とはいっても「大学なんか行くもんじゃない」とか、そういったことを言われたことはなかったし、なんでも自由にやらせてくれる親でした。ただ、「学校の成績が良くても、仕事でどう社会に役に立てて、それを認めてもらうのかが大事なんだぞ」といったことは、ずっと聞かされていましたね。
――そして実際、高校を卒業して、料理人の道に進まれた。

