「ケーキ屋になろうと思っています」「おまえ、冗談だよな」
鎧塚 ただ、卒業してから4年間はまったく関係ない仕事に就いていたんですよ。それに、当時はパティシエなんて言葉も聞いたことがなかった。ただ、女の子が「将来、ケーキ屋さんになる」みたいなイメージがまだまだ強くて、「男がケーキ屋なんて」という風潮がある中で、自分がなるのはシェフよりもパティシエじゃないかと思ったんですよね。
――パティシエという職種が、ブルー・オーシャンだったと。
鎧塚 職場でお世話になっていた方に仕事を辞める話をしたら「次、何するねん?」と。「僕、ケーキ屋になろうと思っています」と答えたら「え、なになに? いま、なんて言った?」って聞くから、もう一度「ケーキ屋になろうと思っています」と答えたら大爆笑されて。「おまえ、それ冗談だよな」「いや、違います」となって、また大爆笑。
当時はバブル絶頂期…「みんなが行かないほうにチャンスってあるんじゃないか」
――爆笑されて、ムッとなりませんでしたか。
鎧塚 全然です。かえって、「あ、これはいけるかもしれん」と思いました。そういうところにこそ、チャンスがあるなって。
その頃ってバブル絶頂期でしたから、若者は不動産業界とかに進む人が多かったんですが、僕はみんなが行かないほうにこそチャンスってあるんじゃないのかなって思っていたんです。もちろん、それを狙って料理の道に進んだわけじゃなくて、パティシエになりたい強い思いがあって、その上で、「この選択はまちがってない」と胸を張れる自信がありました。
23歳でパティシエに。年下の先輩ばかりだった
――そして、辻製菓専門学校で1年学び、1989年に23歳で守口プリンスホテル(現:ホテル・アゴーラ大阪守口)に入社して、パティシエとして働くように。23歳でパティシエになるというのは、業界的に遅いほうになるのでしょうか。
鎧塚 遅かったです。だから、先輩のほとんどは年下でしたね。入った当初は、そのあたりのジレンマは少しありましたけど、実際によく接するのは1個上、2個上、3個上の先輩になりますしね。僕はいまもそうなんですけど、年齢が上とか下とか気にしないので、ギクシャクするってことはなかったです。
今までのキャリアを捨てて、29歳でヨーロッパへ
――3年後に神戸ベイシェラトンホテル&タワーズに移って、2年後に製菓部門副シェフに抜擢されたと。でもその後すぐにヨーロッパ修行に。順調にキャリアを積んでいたと思うのですが、「こうじゃない」みたいなものがあったのでしょうか。
鎧塚 シェフの話が来たのがきっかけですね。なぜか、その頃は「シェフになったらもう勉強ができなくなってしまう」と思っていたんです。いま考えると、シェフになってからもいくらでも勉強できるし、勉強するべきなんですけどね。
さらに、28歳でシェフというのは張り子の虎というか、どこか自分のなかでともなってない気もしたんです。「これは、イチからやり直さないといけないな」と、修行に出ることを決めて。せっかく修行するなら国内じゃない、ヨーロッパだと思った。1994年、29歳の頃に日本を出ました。(つづく)
撮影=榎本麻美/文藝春秋

